源氏物語~桐壺~




桐壺~いづれの御時にか~

【冒頭部】
いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひけるなかにいとやむごとなききはにはあらぬが、・・・・・

【現代語訳】
どの帝の御代であったろうか、女御や更衣が大勢お仕えなさっていた中に、たいして高貴な身分ではない方で、きわだって帝のご寵愛を受けていらっしゃる方があった。入内の初めから、自分こそは(帝のご寵愛を一身に集めよう)と気負っておられた女御の方々は、気にくわない者として軽蔑したりねたんだりなさる。同じ身分、またはそれより低い地位の更衣たちは、女御がたにもまして気が気ではない。(桐壺の更衣は)朝晩のお勤めつけても、他の人々の心をばかりさわがせ、恨みを受けることが積もり積もったせいだったろうか、ひどく病弱になっていき、なんとなく頼りないありさまで実家にさがって静養しがちであるのを、(帝は)ますます物たらなくいとしい者とお思いで、他人の非難をもお慎みあそばすこともできず、のちの世の例にもなるに違いないようなお取り扱いである。公卿や殿上人などもおもしろくなく横目で見て、「実に見ていられないご寵愛ぶりだ。中国でも、こういうことが原因で、国も乱れ、悪かったのだ。」と、次第に、国中でも、にがにがしく、人々の悩みのたねとなって、楊貴妃の例も引き合いに出しかねないほどになってゆくので、(更衣は)まことにぐあいの悪いことが多いけれども、恐れ多いご愛情の類のないほどなのを頼みとして、他の方々と交際していらっしゃる。

【語 句】
いづれの御時にか・・・どの天皇の御代であったろうか。
女御・・・皇居・中宮につぐ天皇の妃、摂政・関白・大臣などの娘が選ばれ、二位または三位を賜わった。
更衣・・・女御につぐ妃。大納言以下の殿上人の娘が選ばれた。四位または五位。
あまたさぶらひたまひける・・・大勢お仕えしていらっしゃった。
いとやむごとなききにはあらぬが・・・たいして高貴な身分ではない方で。
時めきたまふありけり・・・「時めく」は時を得て勢いのよい意。女の場合は寵愛を受ける意。
はじめより・・・入内(妃に選ばれ内裏に入ること)の初めから。
われはと思ひあがりたまへる御方々・・・「自分こそは帝の寵愛を得よう」と自負していらっしゃった他の女御や更衣たち。
めざましき者・・・心外で目ざわりな者
おとしめそねみたまふ・・・「おとしむ」は、さげすむ、見くだす意。「そねむ」は、嫉妬する意。
おなじほど・・・桐壺の更衣と同じ身分(四位)の他の更衣たち。
下﨟・・・身分の低い者。
まして安からず・・・女御がたよりもいっそう心が穏やかでない。
あつしく・・・①熱がある、②病弱な、③病気が重い、などの意でここは②.
上達部・・・公卿のこと、摂政・関白・大臣(以上が公)・大納言・中納言・参議(以上が卿)をいう。
上人・・・殿上人のことで、清涼殿の殿上の間に昇ることを許された人。四位・五位以上の人および六位の蔵人をいう。
あいなく・・・おもしろくなく。
目をそばめつつ・・・目をそむけそむけして。
まばゆき人の御おぼえ・・・まぶしくて顔をそむけたいほどのご寵愛。
唐土・・・中国の古称。
かかることの起こりに・・・このような(国王が女に迷うような)ことの原因で。
あぢきなく・・・おもしろくない、けしからぬ意。
楊貴妃・・・唐の玄宗皇帝の寵妃。
引きいでつべくなりゆくに・・・きっと引き合いに出しそうになってゆくので。
はしたなきこと・・・不体裁なこと。具合の悪いこと。
かたじけなき・・・もったいない。恐れ多い。
御心ばへ・・・ご愛情。
まじらひたまふ・・・「まじらふ」は、仲間に加わる、交際する意。





桐壺~父の大納言はなくなりて~

【冒頭部】
父の大納言はなくなりて、母北の方なむ、いにしへの人の由あるにて、親うち具し、・・・・・・・・・

【現代語訳】
(桐壷の更衣の)父の大納言は亡くなって、母(である大納言の)北の方は旧家出身の深い教養ある人で、両親がそろっていて、現在世間の評判もはなやかな他のおん方々にもたいして見劣りしないように、どんな宮中の儀式をもおとりはからいなさったけれども、しっかりしたうしろだてがないから、特別なことがあるときには、(更衣は)やはり頼るあてもなく心細そうである。

【語 句】
さしありて・・・現在
世のおぼえ・・・世間の評判
何時の儀式・・・宮中で、毎年きまって行われる諸儀式
とりたてて・・・特別に。格別。
事あるとき・・・特別なことのあるとき
なは・・・やはり
よりどころなく・・・頼りとするところがなく。





桐壺~さきの世にも、御契りや深かりけむ~

【冒頭部】
さきの世にも、御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉のをのこ御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと・・・・・・・

【現代語訳】
前世でも(帝と更衣との)ご因縁が深かったのだろうか、世にまたとなくきれいな玉のような皇子までもお生まれになった。(帝は)早くこの皇子を見たいと待ち遠しくお思いになって、急いで(宮中に)お召し寄せになってご覧になると、たぐいまれな若宮のお顔立ちである。第一皇子は、右犬臣の(姫である)女御のお生みになった方で、世間の信望もあつく、疑いもなく皇太子にお立ちになる方として、世間も大切に存じあげてはいるが、この(若宮の)つややかなお美しさには比較申せそうにもなかったので、(帝は)ひと通りの、貴い方としてのご寵愛で、この若宮をご秘蔵の子として大切にご養育なさること、この上もない。

【語 句】
さきの世・・・前世。
御契り・・・お約束。ご因縁。
世になく・・・世にまたとなく。世に類がないほど。
清らなる・・・きれいな。清浄で美しいさま。
いつしかと・・・①いつの間にか ②「早く・・・・・したい」と待ちこがれる意
参らせて・・・若宮を参内させて。
めづらかなる・・・世にもめずらしい。
一の御子・・・第一皇子。
よせ重く・・・人々の信望があつく。
儲の君・・・皇太子。世継ぎの皇子。
御にほい・・・つやつやとした美しき。視覚的に色つやの美しいのをいう。
わたくしもの・・・私物。個人的に大切と思う物。ここは秘蔵っ子の意。





桐壺~母君、はじめよりおしなべて~

【冒頭部】
母君、はじめよりおしなべての上宮仕へしたまふべききはにはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、・・・・・・

【現代語訳】
母君の更衣は、もともと、普通一般のお側勤めをなさるべき(軽い)身分ではなかった。世間の評判もなみひと通りではなく、貴人らしいご様子だけれど、(帝が)むやみにお側にお引きつけなさる余り、しかるべき音楽の遊びのあるたび、そのほか何事につけても趣のある催しごとのたびごとに、いちばん先に(この更衣を)お召しよせになる。あるときには、朝おそくまでお寝すごしになって、そのままお側にお置きになるなど、むりやりお側からはなさずにお扱いになっていたうちに、自然と(更衣は)身分の軽い人のようにも見えたのだが、この皇子がお生まれになってから後は、(帝も更衣を)格別に注意してお扱いになるので、皇太子にも、ひょっとすると、この皇子がお立ちになるかもしれないと、第一皇子の(母君である)女御はお疑いになっている。(この女御は)他の方よりも先に入内なさって、(帝も)貴い方としてのご配慮はなみなみでなく、お子さまがたもおありになるので、このお方のご忠告だけは、やはり、めんどうで、またつらくお思い申されるのであった。

【語 句】
はじめより・・・本来。もともと。
おしなべての・・・普通の。なみなみの。
上宮仕え・・・帝のおそば勤め。天皇のそばに仕えてご用を勤めること。
おぼえ・・・評判。
やむごとなく・・・ひと通りでなく。
上衆めかしけれど・・・貴人らしいけれども。
わりなく・・・むやみに。めちゃくちゃに。
さるべき・・・しかるべき。それにふさわしい。
御遊び・・・音楽のお催し。
やがて・・・そのまま。
あながちに・・・無理に。しいて。
軽き方にも・・・低い身分の人にも。
心ことに・・・格別に注意して。
坊・・・東宮坊(東宮に関する事務を扱う役所)の略。転じて東宮(皇太子)の意にも用いる。
ようせずは。・・・悪くすると。もしかすると。
おぼし疑へり・・・お疑いになった。
やむごとなき御思ひ・・・特別な方としてのご配慮。貴い方としてのご愛情。
なべてならず・・・ひと通りではなく。なみなみではなく。
御いさめ・・・ご苦情。ご苦言。ご意見。
わづらはしく・・・やっかいで。めんどうで。気づまりする不快なさま。
心苦しう・・・心に苦しく。苦痛に。





桐壺~その年の夏、御息所はかなき心地に~

【冒頭部】
その年の夏、御息所はかなき心地にわづらひて、・・・・・

【現代語訳】
その年の夏(若宮の母)御息所はふとした病気にかかって、里さがりしようとなさるが、(帝は)お暇をどうしてもお許しくださらない。この数年来、いつも病身となっていらっしゃるので、(帝も)見なれておられて、「やはりそのまま、しばらく養生してみよ。」とおっしゃっていると、日に日に病気が重くなられて、わずか五六日の間に、たいそう衰弱したので、(更衣の)母君は泣く泣く(帝に)お願い申しあげて、退出おさせ申しあげなさる。こんな場合にも、とんでもない恥をかかされでもしたら、と用心して、皇子は(宮中に)おとどめ申して、ひそかに退出なさる。

【語 句】
御息所・・・①…天皇の寝所に侍する女人。女御・更衣など。②…皇子・皇女を生んだ女御・更衣の尊称。③…皇太子・親王の妃。ここは②。
心地・・・気持ち悪いこと、病気。
さらに・・・まったく、けっして。
年ごろ・・・数年来。
篤し・・・病身、病弱。
試みる・・・ためしてみる、様子をみる。
奏す・・・申しあげる。(天皇に申しあげる場合にのみ)
あるまじき恥もこそ・・・とんでもない恥ずかしめを受けでもしたら(たいへんだ)。





桐壺~限りあれば、さのみも~

【冒頭部】
限りあれば、さのみも、えとどめさせたまはず、・・・・・

【現代語訳】
(別れが惜しくても)限度というものがあるから、(帝は)そうむやみにも、おひきとめになるわけにもゆかず、(身分がら)お見送りさえおできにならない気がかりさを、言いようもなく悲しく思わずにはいらっしゃれない。とてもつややかで、かわいらしい人が、(病気のために今は)ひどく面やつれして、心に深く悲しいこと、しみじみ物思いに沈みながらも、言葉に出して申しあげることもできず、生きているのか死んでいるのかわからない状態で、意識を失っていらっしゃるのを(帝は)ご覧になると、前後のご分別も失われて、いろいろなことを涙ながらにお約束なさるのだけれども、(更衣は)ご返事申しあげることもおできにならず、目つきなどもひどくだるそうで、(いつもよりも)いっそうぐったりとして、意識不明のようすで横になっているので、(帝は)どうしたものかと途方にくれておいでになる。宮廷内で輦車に乗ることを許可する宣旨などをお出しになっても、また(更衣の部屋に)お入りになると、どうしても(退出を)お許しになれない。帝が「死出の旅路にも、おくれたり先だったりせず一緒にとお約束なさったのだから、まさか私をおいて、ひとりいくことはできまい。」とおっしゃるので、女(更衣)もたまらなく悲しいと見申しあげて、
  「これをこの世の最後として、死出の道へお別れしてゆくことの悲しいにつけても、お別れしたくなく、いきたいのは命でございます。
ほんとにこんなことになろうと(前から)存じておりましたら。」と息も絶え絶えに、申しあげたいことはありそうだけれども、ひどく苦しくだるそうなので、(帝は)このままで、死ぬとも生きるとも先をお見とどけになろうとお思いになっておられると、(更衣の里からの使者が)「今日から始めるはずの祈?の数々を、しかるべきりっぱな僧たちがお引き受け申しておりまして、それが今夜から(里で行われますので、お早く)。」と申しあげ、(更衣の退出を)せき立てるので、(帝は)たまらなくつらくお思いになりながら、(更衣を)退出おさせになる。

【語 句】
さのみも・・・そんなにも。そう無理にも。
おぼつかなさ・・・不安さ。気がかりさ。
言ふかたなく・・・言いようもなく。ここは、悲しさ、つらさの激しさ。
おぼさる・・・自然とお思いになる。
にほやかに、うつくしげなる人の・・・色つやがよく、かわいらしい人が。
いたう面やせて・・・ひどく顔がやつれて。
いとあはれと、ものを思ひしみながら・・・心に深く悲しいと、しみじみ物思いに沈んでいても。
言に出でても聞こえやらず・・・悲しい気持ちをことばに出しても申しあげられず。
あるかなきかに・・・生きているのかいないのか分からないほど、衰弱しきった状態で。
消え入る・・・気を失う。
ものす・・・①…ある、いる、②…行く、来る、③行なう。ここは①。
来し方行く末・・・過去と未来。前後全てのこと。
御いらへ・・・ご返事。
まみ・・・目つき。まなざし。物を見る目つき。
たゆげにて・・・だるそうで。
いとどなよなよと・・・いよいよいっそうぐったりとして。
限りあらむ道・・・死出の旅路。
さりとも・・・①…それでも、そうであっても、②…いくらなんでも、まさか。ここでは②。
いみじ・・・①…悲しい、②…もったいない、③お気の毒。ここでは①。
限りとて・・・今は最後と思って。
別るる道・・・別れていく道。死出の道。
わりなし・・・道理がない。無理だ。ここは、たえがたく苦しい。つらい。





桐壺~命婦は、まだ大殿籠らせたまはざりけるを~

【冒頭部】
命婦は、まだ大殿籠らせたまはざりけるを、あはれに見奉る。御前の壷前栽の、いとおもしろき・・・・・・・

【現代語訳】
(宮中に帰ってきた)命婦は、(帝が)まだおやすみなされなかったのを、しみじみ心をうたれて見申しあげる。(帝は)御前の庭の植えこみが、たいそう趣深い真っ盛りであるのをご覧になるふりで、(実は)ひそやかに、奥ゆかしい女房だけ四五人をおそばにお呼びになって、お話をしていらっしやるのであった。このごろ、(帝が)明けても暮れてもご覧になる長恨歌の御絵
―(それは)宇多上皇がお描かせになって、伊勢や貫之に(それにちなんだ題で和歌を)お詠ませになったもので、―その和歌でも漢詩でも、ただそういう(長恨歌によまれたような)内容のものばかりを話題にしていらっしやる。(帝は命婦に)たいそうこまごまと(更衣の里の)様子をおたずねになる。(命婦は)しみじみと心をうたれたことをひそやかに申しあげる。(帝が母君の)ご返事をご覧になると、「まことに恐れ多いお言葉には身の置き所もございません。このようなお言葉をいただくにつけても、(悲しくて)心が真暗になって取り乱した気持ちでございます。」
荒い風を蔭となって防いだ木が枯れてからのちは、(その木の下に生えていた)小萩のことが心配で落ちついた気持ちもありません。―若宮を守っていた更衣が亡くなってからは、若宮のことが心配でなりません。
などというように、収り乱したさまを、(これは)心が静まっていないときだったからだと、(帝は)お見のがしになるであろう。 

【語 句】
御覧ずるやうにて・・・ご覧になるさまをよそおって。
長恨歌・・・唐の白居易作の長詩。
御絵・・・長恨歌の内容を描いた屏風絵のこと。
伊勢・・・三十六歌仙の一人で、伊勢守藤原継蔭の娘。ふつう伊勢の御とよんでいる。平安中期のすぐれた女流歌人。
貫之・・・紀貫之。三十六歌仙の一人で、「古今集」の撰進に加わった当代第一の歌人。
大和言の葉・・・和歌、漢詩に対する称。
唐土の歌・・・漢詩。白楽天の長恨歌をさす。
そのすぢ・・・長恨歌と同様な内容。
枕ごと・・・ふだん口ぐせにいう言葉。ふだんの話題。
こまやかに・・・こまごまとくわしく。
かしこきは・・・もったいない仰せ言に対しては。
かきくらす・・・真暗になる。
あらき風・・・世間の中傷や圧迫のたとえ。
ふせぎしかげ・・・防いでくれた木の蔭。
小萩・・・若宮をたとえたもの。
しづ心・・・落ち着いた静かな心。





桐壺~いとかうしも見えじと~

【冒頭部】
いとかうしも見えじと、おぼししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず。御覧じはじめし年月の・・・・・・

【現代語訳】
(帝は)ほんとにこんなにまで(悲しんでいるさまを、人から)見られまいと、心をお鎮めになるが、どうしてもがまんしとおすことがおできにならない。(更衣を)初めてご覧になった(昔の)年月のことまでもとり集め、あれこれと思い続けなさって、わずかな間も(更衣を見ないと)気がかりであったのに、(更衣の死後)こうしてまあ月目は過ぎてしまうものだと、あきれるほどにお思いになる。帝は「故大納言の遺言にそむかず、宮仕えの希望を深く持っていてくれたお礼には、(宮仕えに出ただけの)かいがあるように(してあげたい)と思い続けてきたのだ。(しかし、今となっては)言ってもしかたのないことだなあ。」とおっしやって、(母君の身の上を)ほんとにしみじみとお思いやりになる。帝は、「このようであっても、若宮でも成長なさったならば、自然と適当な機会もあるであろう。(だから)長生きするように辛抱するがよかろう。」などとおっしやる。(命婦は)あの(母君からの)贈り物を(帝に)ご覧に入れる。(帝は、もしこれが長恨歌にあるように)亡き人のすみかをさがし出したとかいう、その証拠の釵であったならば(どんなにうれしかろう)とお思いになるのも、まことにかいのないことである。
(亡き吏衣の魂を)探しに行く幻術士がいてほしい。人づてにでも魂のありかを、どこであるかを知ることができるように。絵にかいてある楊貴妃の容貌は、すぐれた画家であっても、筆の力には限度があるから、全くつやつやした美しさがない。太液池の蓮の花や、未央宮の柳も(長恨歌のとおり)いかにも似かよっていた(楊貴妃の)容貌だが、唐風の衣装をつけた姿は端麗であったろう、しかし(更衣の)親しみやすく、かわいらしかったのをお思い出しになると(その美しさは)花の色にも鳥の声にもくらべることのできる方法がない。朝晩の口ぐせに、比翼の鳥や連理の枝になろうと約束なさったのに、それができなかった更衣の寿命が限りなく恨めしい。

【語 句】
時の間・・・ちょっとの間。わずかな時間。
おぼつかなかりしを・・・不安であったのに。
あやまたず・・・そのとおりに。間違えず。
本意・・・本来の意志。もとからの希望。
おぼしやる・・・「思いやる」(遠く思いをはせる)の尊敬表現。
御覧ぜさす・・・ご覧に入れる。お目にかける。
伝にても・・・人づてでも。
いみじき絵師・・・立派な画家。すぐれた腕前の絵かき。
いとにほひなし・・・全く生き生きとした美しさがない。
太液の芙蓉、未央の柳・・・「太液」は漢の武帝のとき造られた池の名。「芙蓉」は蓮の花。「未央」は漢の高祖のとき蕭何(しょうか)が造った宮殿な名。
唐めいたる・・・中国ふうである。
粧ひ・・・衣装を着飾った姿。
朝夕の言いぐさ・・・毎日の話題。





桐壺~風の音、虫の音につけて~

【冒頭部】
風の音、虫の音につけて、もののみ悲しうおぼさるるに、弘徽殿には、久しう上の御局にもまう上りたまはず、・・・・・・

【現代語訳】
(帝は)風の音や虫の声につけても、ただもう悲しくお思いであるのに、弘徽殿の女御は長い間清涼殿の上の御局にも参上なさらず、(今夜は)月が美しいので、夜のふけるまで管絃の遊びをしておられるらしい。(帝は、それを)まことにおもしろくなく、不快だとお聞きになる。このごろの(帝の)ご様子をお見あげ申している殿上人や女房などは、(この音楽を)心苦しいと思って聞いた。(この女御の人がらは)たいそう気が強く、かどだったところがおありになる方で、(更衣の死や帝の悲嘆など)何でもないように無視なさって、振舞つていらっしやるのであろう。

【語 句】
月のおもしろきに・・・月が美しいので。
御気色・・・帝のご様子。
かたはらいたし・・・そばで見ていても心が痛む感じ。心苦しい。いたいたしい。はらはらする。
ことにもあらず・・・何でもない事のように。問題にもせず。
もてなしたまふ・・・態度をおとりになる。お振る舞いになる。





桐壺~月も入りぬ~

【冒頭部】
月も入りぬ。(帝)雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生の宿・・・・・・・

【現代語訳】
月も沈んだ。帝は、
この宮中でさえも涙のために暗くなって見える秋の月は、どうしてあの浅茅の生い茂っている更衣の里で澄んで見えることがあろうか。(母君はどうして住んでいるであろうか。)
(と、更衣の里を)お思いやりになりながら燈心をかきあげ尽くしてしまうまで起きておいでになる。右近衛府の官人が宿直の名乗りをしている声が聞こえるのは、丑の時刻(=午前二時ごろ)になったのであろう。(帝は)人目を遠慮なさって、ご寝所におはいりになっても、うとうとお眠りになることさえできない。朝お起きになるにも、夜の明けるのも知らないで(寝ていたものを)と(更衣の生きていた昔を)お思い出しになるにつけても(更衣の生きていたころと同じく)やはり、朝のご政務は怠ってしまわれるようである。お食事なども召しあがらず、朝餉の間での簡単なお食事に、ほんの形ばかり箸をおつけになって、大床子のお食事などは、まったく無縁にお思いでいらっしやるので、お給仕を勤める者はすべて、このお気の毒な帝のご様子をお見あげして嘆いている。すべて近くお仕えしている者はみな、男も女も、「ほんとに困ったことだなあ。」と言い合っては嘆いている。「(帝と亡き更衣とは)こうなるはずの前世の因縁がおありだったのだろう。(更衣の生存中は)多くの人たちの非難や恨みをご遠慮なさらず、この更衣に関することには、物の道理もお失いになり、(更衣の亡くなった)今はまた、このように世の政治までもお見捨てのありさまになっていくのは、まことに不都合なことだ。」と、外国の朝廷の例まで引き合いに出しては、ひそひそ話し、嘆息するのであった。

【語 句】
雲のうへ・・・宮中を天上にたとえていう。
涙にくくる・・・涙に曇ってよく見えない。
浅茅生の宿・・・浅茅の生えた草深い住居。更衣の里をさす。
右近の司・・・右近衛府の役人。近衛府は皇居の門内を警護する役所。
宿直申し・・・「宿直奏」とも書く。宮中で宿直警戒に当たる者が、毎夜定刻にその姓名を名乗ること。
丑・・・今の午前二時、およびその後の二時間。
夜の御殿・・・清涼殿にある天皇のご寝室。
なほ・・・更衣が生きていたときと同様に。やはり。
朝政・・・早朝、天皇が政務をおとりになること。
朝餉の・・・「朝餉」は清涼殿の朝餉の間での簡略な食事。朝食だけとは限らない。
けしきばかり・・・ほんの形式だけ。
大床子の御膳・・・清涼殿の昼の御座(ひのおまし)での正式なお食膳。殿上人が給仕する。
陪膳・・・お食事の給仕を勤めること。また、その給仕人をもいう。
さぶらふかぎり・・・おそばで奉仕する者全部。
心苦しき御気色・・・見る者の心が痛む思いのするご様子。
そこら・・・多数。たくさん。
世の中のこと・・・天下の政治
人の朝廷の例・・・外国の朝廷の前例。





桐壺~そのころ、高麗人のまゐれるが中に~

【冒頭部】
そのころ、高麗人のまゐれるが中に、かしこき相人ありけるを・・・・・

【現代語訳】
そのころ、高麗の人が(わが国に)来ていた、その中に、すぐれた人相見がいたのを(帝は)お聞きになって、宮中に(外国人を)お呼びになることは、宇多天皇のお戒めがあるので(できないから)、非常にこっそりと、この御子を鴻臚館にお遣わしになった。(若宮の)ご後見役のようにしてお仕え申している右大弁の子のように見せかけてお連れ申しあげる。人相見は驚いて、何度も首をかしげて不思議がる。「(この方は)国の親となって、帝王という最高の地位にのぼるはずの人相がおありになる方だが、そういう(帝王の)立場で判断すると、国が乱れ国民が心配することがあるかもしれない。朝廷の柱石となって天下の政治を補佐する方として見ると、またその人相は違うようだ。」という。右大弁もたいそう学才のすぐれた博士であって、(この人相見と)話し合ったことなどは、ほんとうに興味深かった。漢詩などを互いに作り合って、(この相人見が)今日明日にも帰国しようとするときに、このような世にも珍しい(立派な)人に面会した喜びや(すぐお別れしては)かえって悲しいに違いない心持ちを、おもしろく(漢詩に)しく作ったときに、御子もたいそうしみじみと趣のある詩句をお作りになったので、(人相見は)この上なくおほめ申して、すばらしい贈り物をいろいろ(御子に)さし上げる。朝廷からも、(この人相見)にたくさん、品物をご下賜になる。

【語 句】
高麗人の・・・高麗の国の人。
かしこき・・・すぐれている。
鴻臚館・・・来朝した外国人を接待し、宿泊させた宿舎。七条朱雀にあった。
右大弁・・・太政官に所属する右弁官局の長官。
率る・・・人を連れる。伴う。
傾きあやしぶ・・・首をかしげて不審がる。
乱れ憂う・・・天下が乱れ、国民が心配すること。
天の下助くる方・・・天下の政治を補佐する者。
才・・・漢字の才能。
文・・・文書。ここでは漢詩。
ありがたき・・・めったにない。存在することがまれな。
かへりては・・・かえって。むしろ。
心ばへ・・・心の趣。心の様子。気持ち。





桐壺~おのづからことひろごりて~

【冒頭部】
おのづからことひろごりて、もらさせたまはねど、東宮の祖父大臣など、・・・・・

【現代語訳】
自然と(観相の)ことが世間にひろがって、(帝は)お漏らしにならないけれども、皇太子の祖父の大臣などはどういうことであろうかと、お疑いになっていた。帝は、恐れ多いお心から、日本流の観相をし終わって、(高麗の相人の言ったことは)すでにお気づきになっていたことであるから、今までこの若宮を、親王にもなさらなかったが、「高麗の人相見は本当にえらいものだなあ。」とお思いになって、「(若宮を)位のない親王で、下戚の後援者もいない状態で(一生を)ふらふらさせまい。自分の治世もいつまで続くかわからないから、臣下として朝廷の補佐をするのが、将来も心強いことだ。」とご判断なさって、(前より)いっそういろいろな方面の学問を習わせなさる。(若宮は)きわだって賢明で、臣下にするには実に惜しいけれども、親王におなりになったのならば、(やがて天皇の位につかれるのではないかと)世間の疑いをお受けになるに違いなさそうでいらっしゃるので、(さらに念のため)占星術のすぐれた専門家に考えさせてごらんになっても、(やはり高麗の相人と)同じように申すので、(帝は若宮を臣籍にくだして)源氏にさせてあげようとお決めになっていらっしゃる。

【語 句】
ことひろごりて・・・噂が世間に広まって。
かしこき御心・・・もったいない御心で。
倭相・・・日本流の観相。
おほす・・・「果す」で、なしとげる。終える。
下戚・・・母方の親戚。
よせ・・・うしろ立て。後見人。後援者。
ただよはす・・・不安定な状態でふらふらさせる。
ただ人・・・①…普通の人、②…皇族に対して臣下、③…まだ官位の低い人。ここは②。
道々の才・・・政治家として必要な多方面の学問。法律や政治や故実などの学問。
際ことに・・・格段に。きわだって。
あたらし・・・惜しい。もったいない。
宿曜のかしこき道の人・・・占星術のえらい専門家。





桐壺~年月に添へて~

【冒頭部】
年月に添へて、御息所の御事を、おぼし忘るるをりなし。慰むやと、さるべき人々を参らせたまへど、・・・・・・

【現代語訳】
年月のたつのにつれて、(帝は)亡き御息所のことをお忘れになるときもない。気がまぎれもしようかと、適当な人々を宮中にお召しになるが、「(亡き更衣と)同類に思われる女さえ、めったにいない世の中だなあ。」と、万事につけていやにお思いになるばかりであったのに、先帝の第四皇女で、ご器量がすぐれていらっしやるという評判が高くておいでの方、(そしてまた)母后がこの上もなく大切にお世話申していらっしやる方(があったが、その方)を帝にお仕えしている典侍は、先帝の御代からの人で、母后の御殿にも親しくお出入りしなれていたので、(姫宮が)幼くていらっしやった時からお見あげ申し、(成人された)今もちらっとお見うけ申して、「おなくなりになった御息所のご容貌に似ていらっしやる方を、(私は)三代の帝にずっと宮仕えを続けてまいりましたが、お見かけ申すことができませんのに、(先帝の)后の宮の姫宮は、実によく似てご成長なさっていらっしやいました。めったにないご容貌の美しい方でいらっしやいます。」と申しあげたので、(帝は)ほんとだろうかとお心がひかれて、丁寧に(姫宮の入内を、母后に)お申し入れなさった。

【語 句】
御息所・・・ここは亡き桐壺の更衣をさす。
さるべき人々・・・しかるべき人々。女御・更衣として適当な美人。
なずらひ・・・同列に並ぶもの。肩を並べるもの。
うとましうのみ・・・ただもういとわしいばかり。
先帝の四の宮・・・桐壺の帝の前の帝の第四皇女。
聞こえ・・・評判。噂。
世になく・・・この上なく。
典侍・・・内侍の司の次官
いはけなく・・・幼く。
ほの見奉りて・・・ちらっとお見上げ申して。
ありがたき・・・めったにない。類がない。
ねんごろに・・・丁寧に。懇切に。礼儀を尽くした丁重なさま。





桐壺~母后、あなおそろしや~

【冒頭部】
母后、あなおそろしや、春宮の女御の、いとさがなくて、桐壺の更衣のあらはにはかなくもてなされし例もゆゆしう、・・・・・・

【現代語訳】
母后は、「まあ、おそろしいこと。東宮の御母の女御がひどく意地悪で、桐壷の更衣が露骨に軽く扱われた例もいまわしくて……」とご用心なさって、すらすらともご決心なさらなかったうちに、母后もお亡くなりになってしまった。(残された姫宮は)心細いありさまでいらっしやるので、帝は、「ただもう、私の女御子たちと同列にお思い申そう。」と、たいそう丁寧に申しあげなさる。姫宮に什える侍女たち、ご後見役の人たち、兄君の兵部卿の親王などは、「何かと心細くておいでになるよりは、宮中にお住みになってお心をもまぎらすほうがよいでしょう。」などとお考えになって、(姫君を)入内おさせになった。藤壷(の女御)と申しあげる。(典侍の言葉どおり)いかにもお顔やお姿は、不思議なほど、(亡き更衣に)似ていらっしやる。この方は、(皇女であるから)ご身分が(桐壷の更衣より)高くて、そう思って見るせいか立派で、どなたも悪く申しあげることはおできにならないから、気ままにふるまって不足なことはない。あの桐壷の更衣は、他の方々が(帝のご寵愛を)お認め申さなかったのに、(帝の)ご愛情があいにくと深すぎたのであった。
(帝のお嘆きが、藤壺の女御によって)お紛れになるということはないが、自然にお心が(藤壷の方に)移って、この上もなくお心がお慰みになるようなのもしみじみと感慨深いことであった。

【語 句】
春宮の女御・・・弘徽殿の女御をさす。
さがなくて・・・「さがなし」は、性質がよくない意。
あらはにはかなく・・・ろこつに、つまらぬふうに。おおっぴらに、とるに足らぬつまらないさまに。
もてなされし例・・・とり扱われた前例。
ゆゆしう・・・「ゆゆし」の連用形ウ音便。不吉で。恐ろしく。
おぼしつつみて・・・「思ひつつみて」の尊敬表現。「思ひつつむ」は用心する、遠慮するの意。
すがすがしう・・・「すがすがしく」のウ音便。きっぱり思い切りよく。
おぼしただざりける・・・「おぼしたつ」は「思ひ立つ」の尊敬表現。決心する意。
ただ・・・ひたすら。全く。
さぶらふ人々・・・四の宮に仕える侍女たち。
御兄・・・「せうと」は「兄人」(せひと)の音便。
兵部卿の親王・・・兵部省の長官である親王。藤壺の兄で、紫の上の父にあたる人。
とかく・・・あれこれ。
藤壺・・・後宮五舎の一つで、飛香舎(ひぎょうしゃ)のこと。庭に藤があったのでこの名がある。
げに・・・なるほど。いかにも。
おぼえたまへる・・・「おぼゆ」は似るの意。
人の際・・・身分。分際。
思ひなし・・・気のせいか。
うけばりて・・・遠慮せず思うままにふるまって。おおっぴらに行動して。
おぼしまぎる・・・「思ひ紛る」の尊敬表現。気がまぎれる意。





桐壺~源氏の君は御あたり去りたまはぬを~

【冒頭部】
源氏の君は御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方はえ恥ぢあへたまはず。・・・・・・・

【現代語訳】
源氏の君は、(帝の)お側をお離れにならないので、まして頻繁にお通いになるお方は、恥ずかしがって隠れておいでになるわけにゆかない。どの女御・更衣の方々も、自分が他の人より(器量が)劣るとお思いになっている方があろうか。(そんな方は一人もなく)みなそれぞれに、たいそう美しいけれども、年をとっていらっしやるのに、(藤壷の宮は)たいへん若くかわいらしくて、しきりに(見られないように)お隠れになるが、自然にそのお姿が漏れて(源氏の君は)お見うけ申しあげる。(源氏の君は)母御息所については、面影さえもご記憶なさらないけれども、「(藤壷の宮は亡き更衣に)たいそうよく似ていらっしやいます。」
と、典侍が申しあげたので、(源氏の君は)子供心に、ほんとになつかしいとお思い申しなさって、いつも(藤壷の宮のおそばに)参りたく、(また)慣れ親しんでお見あげ申したいものだ、とお思いになる。帝も(このお二人は)この上ないご寵愛の方々なので、(藤壷の宮に対して)「よそよそしくしないで下さい。不思議にも(あなたを源氏の君の母に)お見立て申すことができそうな気持ちがします。(源氏の君があなたに馴れ親しむのを)無礼だとお思いにならないで、かわいがって下さい。(桐壷の更衣の)顔つきや目つきなどは、(あなたと)実によく似ていたので、(あなたが実の母のように)似かよってお見えになるのも不似合いではありません。」などといつもお頼みになっているので、(源氏の君は)子供心にも、ちょっとした(春の)花や(秋の)紅葉につけても、(お慕いしている)心持ちをお見せ申し、この上なく心をおよせ申しあげていらっしやるので、弘徽殿の女御は、またこの(藤壷の)宮とも御仲が親しくないため、(宮への憎しみに)加えて、(桐壷の更衣の子である源氏の君への)昔からの憎さも出てきて、不愉快だとお思いになっている。(帝が)世に類がない(美人だ)とお見あげ申されて、評判高くいらっしやる藤壷の宮のご容貌にくらべても、やはり(源氏の君の)つややかな美しさはたとえようもなく、かわいらしく思われるので、世の人々は「光る君」と申しあげる。藤壺の宮も(源氏の君と)お並びになって、(帝の)ご寵愛もそれぞれ優劣がないので、「かがやく目の宮」と申しあげる。

【語 句】
まして・・・なおさら。いっそう。
しげく・・・しばしば。数多く。
うつくしげにて・・・「うつくしげなり」は、かわいらしいさまをしている意。
せちに・・・しきりに。ひどく。「切に」と同じ。
漏り見奉る・・・几帳のはずれなど、物のすきまから姿がもれて、お見受け申し上げる。
御思ひどち・・・帝がご寵愛になっている方同士。
つらつき・・・顔つき。顔立ち。
まみ・・・目もと。目つき。
似げなからずなむ・・・「似げなし」葉、似合わない、ふさわしくない意。
聞こえつけたまへれば・・・「聞こえつく」は「言ひつく」の謙譲語で、頼む意。
はかなき花・紅葉・・・大したことはない、ちょっとした春の花や秋の紅葉。
そばそばしきゆゑ・・・親しくないため。
うちそへて・・・藤壺への憎しみに加えて。
ものし・・・気にくわない。目ざわりだ。不愉快だ。
にほはしさ・・・つやつやとした美しさ。匂いではなく、色つやの美しさをいう。
うつくしげなるを・・・愛らしく美しいので。
とりどりなれば・・・それぞれにふさわしいので。









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