源氏物語~若菜上~




若菜上~弁は、おぼろけの御定めにもあらぬを~

【冒頭部】
弁は、おぼろけの御定めにもあらぬを、・・・・・・

【現代語訳】
左中弁は、(女三の宮を源氏と結婚させたいということは朱雀院の)いいかげんなご選定でもないのに、(源氏が)このようにおっしゃるので、(朱雀院に対して)お気の毒にもまた残念にも思って、(朱雀院が)内々にご決心なさった事情などをくわしく申しあげると、(源氏は不同意ながらも)さすがににっこり笑って、「非常にかわいがっていらっしゃるお子さまのようだから、しいてこのように過去や将来までたどるご詮索も深いのだろうな。いっそ帝(=冷泉帝)にさしあげなさるのがよかろう。身分の高い、先に入内した(女御の)方々がおいでになるということは遠慮するいわれのないことだと思う。そんなことに妨げられるはずのことでもない。先に入内した人がいるからといって、必ず後から入内した人が軽く扱われるわけのものでもない。故桐壷帝の御時、弘徽殿の大后が、東宮のころからの最初の女御として威勢を振るっていらっしゃったけれども、最後に入内なさった入道の宮(=藤壺の宮)に、しばらくの間は圧倒されてしまわれたのだった。この御子(=女三の宮)のお母さまの女御(=藤壺の女御)こそは、あの入道の宮の妹君でいらっしゃったように思う。器量も(入道の宮の)次にたいそう美しいと言われなさった方だったから、(伯母君・母君の)どちらに関しても、この姫宮(のご容貌)は並み並みの程度では、まさかいらっしゃるまいね。」など(とおっしゃって、女三の宮に)心をひかれて会って見たく思い申しあげなさるようだ。

【語 句】
おぼろけの御定め・・・いいかげんなご決定。並みひと通りのご選定。
さすがに・・・そうはいうもののやはり。一度辞退したもののやはり。
あながちに・・・むりに。
たどり・・・たどること。いろいろ思索すること。詮索。
深きなめりかしな・・・深いのであるらしいなあ。
やむごとなき・・・「やむごとなし」は、①捨てておけない、②並みひと通りである、③高貴である。ここは③。
まづの人々・・・先に后妃として入内した人々。古参の女御たち。
それにさはるべきことにもあらず・・・入内の早い遅いに妨げられるはずのものでもない。
さりとて・・・そうだからといって。
おろかなるやうもなし・・・疎略にされるようなこともない。
いきまきたまひしかど・・・「いきまく」は、勢力を振るう。時めく意。
さしつぎ・・・そのすぐ次。
おしなべての際・・・普通の程度の器量。
よもおはせじを・・・よもやいらっしゃるまいよ。
いぶかしくは思ひ聞こえたまふべし・・・関心をお持ち申しあげなさるようだ。「いぶかし」は見たくて心のひかれる意。





若菜上~おぼしおきてたるさまなど~

【冒頭部】
おぼしおきてたるさまなど、くはしくのたまはするついでに、・・・・・・

【現代語訳】
(朱雀院は)かねてご計画になっていた(出家後の)事情などを、くわしく(源氏に)お話しになるついでに、「女御子たちをたくさん後に残してゆきますのが気がかりです。その中でも、ほかに世話を頼んでおく人もない女三の宮のことが、とりわけ気がかりで扱いに悩んでいます。」とおっしゃって、まともに言い出しかねておいでのご様子を、(源氏は)お気の毒に拝見していらっしゃる。(源氏自身の)お心の中でも、(女三の宮を預かる気はないとはいうものの)やはり見たいと思う(女三の宮の)ご様子だから、黙って聞き過ごしにくくて、「なるほど(仰せの通り)、普通の身分の者よりも、このような皇族の方は、親しく個人的にお世話する人のないのは、残念に思われることでございました。東宮もあのようにしっかりしておいでになるので、この衰えた末世にはまことに賢明な東宮さまと、天下の人の頼みどころとして尊敬申しあげていますが、まして(院が)『この事を頼む』と申し置かれるようなことは、一つとして(東宮が)いいかげんに軽んじなさるはずはございませんから、まったく将来のことはご心配になる必要もございませんけれども、(仰せの通り)なるほど物事には限度があるので、『(東宮が)皇位におつきになり、天下の政治もお心のままになるであろう』とはいうものの、女(=女三の宮)のおんために、どれほどの目立つようなご好意が寄せられるものでもございますまいよ。いったい女のおんためには、いろいろと、ほんとうのお世話役とすべきものは、やはり、当然お世話すべき(夫婦としての)関係で縁を結び、捨て置けないこととしてお世話申しあげるお守り役(=夫)のおりますことが、安心できることでございますが、やはりどうしてもあの世までのご心配が残るようでしたら、適当に(お守り役を)お選びになって、ひそかに相当なお世話役を(女三の宮に)定めてお置きになるべきでございます。」と申しあげなさる。

【語 句】
おぼしおきてたるさま・・・前からお考え置きになっていた事情。
うち捨てはべるなむ・・・あとに残しますことが、
思ひゆづる人なきをば・・・世話を頼んで預けるあてのない人を。
とりわきて・・・とりわけ。特別に。
うしろめたく・・・気がかりに。不安に。
見わづらひはべる・・・扱いに困っています。
まほにはあらぬ御気色・・・女三の宮のことをはっきり真正面から言い出せないご様子。「まほ(真秀)なり」は、①よく整ったさま、②真正面である、③直接である。ここは②。
さすがに・・・そういうもののやはり。
ゆかしき・・・「ゆかし」は、見たい聞きたいなど心のひかれるさま。
おぼし過ぐし難くて・・・黙っていられなくて。
ただ人・・・普通の人。皇族でない臣下。
かかる筋・・・このような血筋。
私ざまの御後見・・・個人的に親身になってお世話する人。
口惜しげなるわざ・・・遺憾に思われるようなこと。
仰ぎ聞こえさするを・・・尊敬申しあげておりますが。
公となりたまひ・・・皇太子が天皇におなりになる。
女の御ために・・・女性にとっては。
けざやかなる御心寄せ・・・きわ立って女三の宮にご好意を寄せること。
すべて・・・おしなべて。大体。
さまざま・・・いろいろと。何かにつけ。
さるべき筋に契りをかはし・・・そうあるべき理由で契りを結び。
えさらぬことに・・・避けることのできないこととして。
はぐくみ聞こゆる御守り目・・・お世話申しあげるお守り役。
うしろやすかるべきこと・・・安心のできること。
後の世の御疑ひ・・・後世までのご心配。
残るべくは・・・もし残るようならば。
よろしきに・・・よいように。適当に。
忍びて・・・こっそりと。内々。
さるべき御あづかり・・・そうあるべきお世話役。





若菜上~「さやうに思ひ寄ることはべれど~

【冒頭部】
「さやうに思ひ寄ることはべれど、それも難きことになむありける。・・・・・・

【現代語訳】
(朱雀院は)「そうように(私も)考えることがありますけれども、それもむずかしいことですね。昔の例を聞きますにも、(父帝が)位についている盛んなときの皇女でも、(適当な)人を選んで、そのような(降嫁という)ことをなさった例は多かった。まして、この(私の)ように、『今は限り』と(出家して)この俗世を離れるまぎわになって、(婿選びを)重大らしく思うべきでもないが、しかしまた、そのように(この世を)捨てる中にも、捨てきれないことがあって、いろいろと思い悩んでおりますうちに、病気は重くなってゆく。ふたたび取り返すことのできるはずもない月日が過ぎてゆくので、気も落ち着かないのです。ご迷惑な頼みだが、『この幼い内親王をひとり、特別にお育てくださって、適当な頼りどころを、あなたのお考えでお決めになって縁づけてください』と申しあげたいのだが、権中納言(=夕霧)などが、まだ独身であった時分に、進んで申し出ておくべきであった。太政大臣に先を越されて、残念に思います。」と申しなさる。(そこで源氏は)「中納言の朝臣(=夕霧)が、まじめな点では、きっとよくお仕えするに違いないでしょうが、何事においてもまだ未熟で、分別が足りのうございましょう。畏れ多いことですが、(私が)心の底からお世話申しあげますならば、(姫宮もあなた様の)ご在世中のおいつくしみに変わったとはお思いになりますまいが、ただ(私は)余命が少なくて、途中でお仕えできなくなることもありはしまいかと、不安に思うことだけが(姫君に対して)お気の毒でございましょう。」と(おっしゃって、源氏は女三の宮のお世話を)お引き受け申しあげなさった。

【語 句】
いにしへのためし・・・昔の例。
さるさまのこと・・・そのようなこと。婿を選び取るようなこと。
まして・・・いわんや。なおさら。
今はと・・・今は最後と。
ことごとしく・・・大げさに。ぎょうぎょうしく。重大らしく。
しか捨つる中にも・・・そのように俗世を捨てる中にも。出家して世を離れる中にも。
心あわただしくなむ・・・気がせいて落ち着かないのです。
かたはらいたき譲り・・・迷惑な頼み。
はぐくみ・・・「はぐくむ」は、育てる。世話をする。
さるべきよすが・・・しかるべき頼り所。適当な頼りになる人。つまり、婿の意。
ひとりものしつるほどに・・・独身であったころに。
先ぜられて・・・さきんじられて。
ねたうおぼえはべる・・・残念に思われます。
まめやかなるかたは・・・実直な方面においては。誠実な点では。
何事もまだ浅くて・・・すべて未熟で。
たどり・・・物事の道理などを深くさぐりきわめること。分別。
かたじけなくとも・・・おそれ多いけれども。
深き心にて・・・深い心によって。
うしろみ聞こえさせはべらむに・・・お世話申しあげますならば。
仕うまつりさす・・・中途でお世話をやめる。
うけひき申したまひつ・・・承諾申しあげなさった。





若菜上~三日がほど、かの院よりもあるじの~

【冒頭部】
三日がほど、かの院よりもあるじの院がたよりも、・・・・・・

【現代語訳】
(源氏と女三の宮の結婚後)三日の間は、朱雀院からも、主人側の六条院のほうからも、盛大でめったにない優雅を極めた催しをなさる。対の上(=紫の上)も何かにつけて平気な気持ちではいらっしゃれない夫婦の状態である。なるほど(源氏のお言葉どおり、)このような(女三の宮のお輿入れになった)ことによって、(紫の上が)すっかり女三の宮に圧倒されることもないだろうけれども、(これまで)ほかに並ぶ人もなく暮らし慣れなさっているのに、(そこへ女三の宮が)花やかで、将来も長く、あなどりがたい様子で、(六条院に)お移りになったので、(紫の上は)なんとなくぐあい悪く思いになるが、ただもうさりげなくふるまって、(女三の宮が)お移りの時も、(源氏と)一つ心になってちょっとしたことにも世話をやきなさって、まことに可憐なご様子なのを、(源氏は)ますます珍しい(立派さだ)とお思い申しあげなさる。姫宮(=女三の宮)は、なるほど、(朱雀院のお言葉どおり)まだたいそう小さく、未成熟でいらっしゃる中でも、ひどくあどけない様子をしていて、まるっきり子供っぽくいらっしゃる。あの藤壺の宮のゆかりの紫の上を見つけて引き取りなさった時のことをお思い出しになると、あちら(=紫の上)は気がきいていて相手にしがいがあったのに、こちら(=女三の宮)は、まったくもうあどけなくご覧になるので、(源氏は)「よかろう、(こんなに子供っぽくては)憎らしそうに出しゃばることなどはなさそうだ。」とお思いになるものの、「あまりにも見栄えのしないご様子だなあ」と拝見なさる。

【語 句】
三日がほど・・・新婚三日間は。
あるじの院がた・・・主人である六条院のほう。
いかめしく・・・りっぱに。盛大に。
みやびを尽くしたまふ・・・風流の限りを尽くした催しを行なわれる。「みやび」は風流、風雅。
こよなく・・・この上もなく。ひどく。
また並ぶ人なくならひたまひて・・・他に肩を並べる競争相手もなく暮らし慣れていらっしゃるのに。
生ひ先遠く・・・年が若く前途が長く。
あなづりにくきけはひにて・・・軽く見るわけにいかない様子で。
なまはしたなく・・・なんとなくきまり悪く。なんとなくぐあい悪く。
つれなくのみもてなして・・・もっぱら平気にふるまって。「つれなし」は平気なさま。
もろ心に・・・一つ心に。
はかなきこともし出でたまひて・・・ちょっとしたこまかいこともなさって。「し出づ」は、しでかす、行なう意。
かたなりに・・・発育不十分で。未熟で。
いはけなき気色・・・幼稚な様子。
ひたみちに・・・ひたすら。いちずに。
ざれて・・・「ざる」(戯る)は、①ふざける、②しゃれる、③機転がきく、などの意がある。ここは③。
よかめり・・・よいようだ。
おしたちたる・・・「おしたつ」は、我を張る、出しゃばるの意。
あるまじかめり・・・ありはしないように思われる。





若菜上~三日がほどは、夜がれなく~

【冒頭部】
三日がほどは、夜がれなくわたりたまふを、・・・・・・

【現代語訳】
(結婚後)三日の間は、(源氏が女三の宮のもとへ)毎夜行かれるので、長年の間そんなことに慣れていらっしゃらない(紫の上の)気持ちでは、がまんしていてもやはりなんとなくしみじみとさびしい。(源氏の)お召し物などに、いっそう念入りに(香を)たきしめさせなさるものの、物思いに沈んでいらっしゃる(紫の上の)様子は、非常に可憐で美しい。どうして、「いろんな事情はあるにしても、(紫の上の)ほかにまた妻を並べて見るべきであろうか。浮気っぽく気が弱くなってきた自分のあやまちで、こういうことも起こってくるのだ。年は若いけれども(まじめだから)、中納言(=夕霧)を(婿にとは朱雀院も)お考えになれなかったようだったのに」と、(源氏は)われながら情けなく思い続けられるので、つい涙ぐんで、「今夜だけはやむをえないと、お許しになってくださいね。これからのち、(あなたから)離れることがあるならば、自分ながら愛想が尽きるだろう。またそうかといって、(女三の宮を疎略に扱っては)朱雀院がお聞きになることもあるからね。」と、思い乱れていらっしゃる(源氏の)お心の中は苦しそうである。(紫の上は)少しほほえんで、「ご自分のお心でさえ、決めかねていらっしゃるようなのに、(私など)まして(今おっしゃった)道理も何も、どこに決めたらよいものでしょうか(判断もつきません)。」と、言うかいもなさそうに扱いなさるので、(源氏は)恥ずかしくさえお思いになって、頬づえをおつきになって横になっていらっしゃるので、(紫の上は)硯を引き寄せて、
目の前で、こうも変われば変わる世の中なのに、(私は)行く末遠く(変わらないものと、あなたを)頼みにしていたことよ。(そのほか)古歌などを書きまぜていらっしゃるのを、(源氏は)手に取ってご覧になって、「なんでもない歌であるが、なるほど(その歌の通りだ)」と、もっともなので、(源氏は)
命こそ(限りがあって)絶えることはあろうが、定めないこの世で、普通とは違った私たち二人の間の縁だからね(絶えることはないのだよ)。(とお書きになって)すぐにも(女三の宮のところへ)お出かけになれないでいるのを、(紫の上が)「それでは、ほんとうに見苦しいことですわ。」と言って、おすすめ申しあげなさるので、(源氏は)しなやかで趣のある(お召し物の)ころあいで、なんともいえずよい匂いをただよわせてお出かけになるのを、(室内から)お見送りになるにつけても、(紫の上の心の中は)とても平静な状態ではないでのだ。

【語 句】
夜がれなく・・・夜がれすることなく。
さもならひたまはぬ心地に・・・そのようにも慣れていらっしゃらない紫の上の気持ちには。
たきしめさせたまふものから・・・女房に命じて香をたきしめさせなさるものの。
うちながめてものしたまふ・・・もの思いに沈んでおいでになる。
らうたげにをかし・・・かわいらしい様子で美しい。
などて・・・どうして。
また人をば並べて・・・紫の上のほかにまた妻を並べて。
あだあだしく・・・浮気で。誠実味がなく。
わが怠りに・・・自分のあやまちのために。「怠り」は、ここは過失、誤りの意。
かかること・・・女三の宮と結婚するようになったことをさす。
つらくおぼし続けらるるに・・・薄情に思い続けられるので。「つらし」は薄情な、冷淡なさま。
許したまひてなむ・・・お許しくださろうね。
身ながらも・・・自分であるけれども。
とだえ・・・紫の上のそばを離れること。
心づきなかるべけれ・・・気にいらないだろう。いやに感じるだろう。「心づきなし」は、いやだ、好かない意。
さりとて・・・そうかといって。
つらづゑ・・・頬杖。
目に近く・・・目に近い所で。目前で。
古言・・・古歌。
はかなき言なれど・・・つまらない古歌であるけれども。
ことわりにて・・・道理なので。
とみにも・・・すぐにも。急にも。
そそのかし・・・催促し。
えならず・・・なんともいえずすばらしく。





若菜上~三月ばかりの空うららかなる日~

【冒頭部】
三月ばかりの空うららかなる日、六条の院に、・・・・・・

【現代語訳】
陰暦三月(終わり)ごろの、空ののどかな日、六条院に、兵部卿の宮や衛門の督(=柏木)などがおいでになった。源氏の殿がお出ましになって、お話などをなさる。「(ここのような)静かな住まいはこのごろはまったく退屈で、気のまぎれることがないね。朝廷にも個人的にも、何も用がないね。何をして暮らしたらよかろうか。」などとおっしゃって、「けさ、大将(=夕霧)が来ていたが、どこにおるか。ひどくものさびしいから、いつものように(夕霧に)小弓を射させて見るのだったな。(小弓を)好きそうな若者たちも見えたのに、残念にも帰ってしまったかな。」とお尋ねになる。大将の君(=夕霧)は(花散里の住む)北東の町で、大勢の人々と一緒に、蹴鞠をさせてご覧になっているとお聞きになって、(源氏は)「(蹴鞠は)乱雑な遊びごとで、それでいて目のさめる、才気の必要なものだ。さあ、こちらへ(いらっしゃい)。」といって、おたよりが伝えられたので、(夕霧たちは源氏の前に)おいでになった。若君達らしい人々が多かった。(源氏が)「まりは持たせなさったか。だれだれが来たのか。」とおっしゃる。(夕霧が)「だれそれが参りました。」(と答えると、源氏は)「こちらへ来てもらえないだろうか。」とおっしゃるので、寝殿の東面の―(ここにお住みの)桐壷の女御(=明石の女御)は若宮をお連れ申して、参内してしまわれたころなので、こちらは人目につかずひっそりしていた、―遣水などの合流する所が障害もなくて、風情のある蹴鞠の場所をさがして(みんな庭に)出た。太政大臣のご子息たちは、頭の弁、兵衛の佐、大夫の君など、年をとった者もまだ幼少の者も、それぞれに(蹴鞠の技は)ほかの人よりすぐれておいでになる。

【語 句】
紛るることなかりけれ・・・気のまぎれることがないなあ。
ものしつるは・・・来ていたのは。「ものす」は、ここでは「来」の意。
さうざうしきを・・・寂しく物足りないから。
例の・・・例のごとく。いつもの通り。
ねたう・・・残念にも。惜しくも。
人々あまたして・・・人々大勢と共に。
鞠もてあそばして・・・けまりをなさって。
乱れがはしきことの・・・けまりは乱雑なことで。無作法な遊びごとで。
さすがに・・・そうはいうもののやはり。
目さめてかどかどしきぞかし・・・眠けがさめて才気のいるものである。「かどかどし」は、才気がある、気がきく意。
いづら・・・人をうながす時に用いる語。さあ。どうだ。
これかれはべりつ・・・だれそれがおりました。
まかでむや・・・来ませんか。「まかづ」は、①退出する、②こちらへ来る、などの意があり、ここは②。
ゆきあひ・・・出合い。合流点。
はれて・・・けまりに支障がなく広くて。
よしあるかかりのほど・・・趣のある蹴鞠場の木のぐあい。
過ぐしたるも・・・少し年を取った者も。
片なりなるも・・・年少の者も。





若菜上~やうやう暮れかかるに~

【冒頭部】
やうやう暮れかかるに、風吹かずかしこき日なりと興じて、・・・・・・

【現代語訳】
しだいに日が暮れかかるが、「風も吹かず(蹴鞠には)よい日だ」とおもしろがって、弁の君もじっとしていられなくて仲間入りするので、源氏の殿が、「弁官でさえも落ちついていられないらしいのだから、たとえ上達部であっても、若い衛府の役人たちはどうして(蹴鞠に加わって)乱れなさらないのか。(私も)それくらいの年齢のころには、(蹴鞠に加わらないで)見過ごすのを、不思議に、残念に思ったものだ。とはいうものの、(身分の高い人の遊びとしては)実に軽々しいなあ、この蹴鞠の様子といったら。」などとおっしゃるので、大将(=夕霧)も督の君(=柏木)も、みな(庭に)お降りになって、なんともいえず美しい桜の花の下で(まりを追って)動きまわっていらっしゃる、夕日に映えたその姿は、まことに美しい。あまり体裁もよくなく、静かでもない無作法な遊びのようだが、(優雅に見えるのは)場所がら、人がらによるのであったよ。趣のある庭の木立ちが、たいそう霞につつまれている所に、色とりどりに咲き続いている花の木々や、少し芽を出した薄緑の柳の木陰に、こんな取るに足りない遊びではあるが、上手下手の違いがある技量をきそいながら、「自分も負けまい」という顔つきをしている中に、衛門の督(=柏木)の、ほんのちょっと仲間入りなさった足の動きに及ぶ人はないのだった。(この衛門の督は)容姿のたいそうきれいな優美な様子をした人で、心づかいを十分してそれでいながら(まりを追って)乱れている様子は興味深く見える。御階の間に面した桜の木陰に寄って、人々が花を見ることも忘れて(まりに)熱中しているのを、源氏の殿も螢兵部卿の宮も、すみの欄干に出てご覧になっている。

【語 句】
やうやう・・・だんだん。
かしこき日・・・都合のよい日。「かしこし」は、ここは、結構な、よい意。
え静めず立ちまじれば・・・落ちついていられず蹴鞠に加わるので。
あやしく・・・妙に。不思議に。
見過ぐす・・・蹴鞠に参加しないで見送ることを。
さるは・・・とはいえ実は。そのくせ。
軽々なりや・・・かるがるしいことだ。
さまよひたまふ・・・うろうろ動き回っていらっしゃる。
をさをさ・・・あまり。ほとんど。
乱れごと・・・乱雑な遊びごと。無作法な遊戯。
ゆゑある・・・風情のある。趣深い。
ひもときわたる・・・一面に咲いている。「ひもとく」は、つぼみが開く意。
けぢめ・・・差違。相違。
足もと・・・足つき。
なまめきたる・・・優美である。上品な様子である。
用意・・・心を用いること。心づかい。
いたくして・・・十分にして。「いたし」は程度のはなはだしいさま。
さすがに・・・そうはいうもののやっぱり。
心に入れたるを・・・熱中しているありさまを。





若菜上~いとらうある心ばへども見えて~

【冒頭部】
いとらうある心ばへども見えて、数多くなりゆくに、・・・・・・

【現代語訳】
たいそう上手な(技術上の)工夫などが見えて、(蹴鞠の)番数が多くなっていくにつれて、身分の高い人々もしまりがなくなって、冠の額ぎわも少しゆがんできた。大将の君(=夕霧)も、そのご身分の高い程度を考えると、「いつもと違う乱雑な騒ぎようだなあ」と思われるが、わきから見た目には、人より一段とまさって若く美しく、桜がさねの直衣の、少しやわらかくなったのに、指貫の裾のほうを少しふくらませて、ほんの形ばかりひき上げてはいていらっしゃる。(その姿は)軽々しくも見えない。なんなとなくさっぱりとしたくつろいだ姿に、桜の花びらが雪のように降りかかるので、それをちょっと見上げて、(まりが当たって)たわんでいる枝を少し折り取って、階段の中段あたりに腰をおかけになった。督の君(=柏木)も続いてやって来て、「花が入り乱れて散っているようだな。(風は)桜をよけて吹けばよいのに。」などとおっしゃりながら、女三の宮のお部屋のほうを横目で見ると、いつもの通り、特に用心してもいない様子であって、(女房の着物が)色とりどりにこぼれ出ている御簾の端々や、(御簾を通して)透いて見える姿などは、春の旅に道祖神にそなえる幣袋ではあるまいかと思われる。
(女三の宮のいる部屋は)御几帳などをだらしなく(部屋の片すみに)ひきのけてあって、女房たちが近くにいて男慣れしているように見える、そのとき、唐猫の、とても小さくかわいらしいのを、少し大きい猫が追いかけて来て、急に御簾の端から走り出るので女房たちは恐れ騒いで、ざわざわと身動きしてうろうろする様子や、衣ずれの音がやかましいほどに感じられる。猫はまだよく人になついていないのだろうか、綱がたいそう長くつけてあったのを、何かに引っかけ(からだに)まつわりついたので、逃げようと無理に引っぱるうちに、御簾の片端が(室内も)丸見えに引き上げられたが、それをすぐに直す人もいない。この柱のそばにいた女房たちも心も落ち着かなそうで、こわがっている様子である。

【語 句】
らうある心ばへども・・・熟練した心くばり。
上﨟・・・身分の高い人。
くつろぎたり・・・「くつろぐ」は、①ゆるむ、②うちとける、などの意がある。ここは①。
見る目は・・・はたの人から見た目には。
けに・・・「異に」で、いっそうまさって、の意。
をかしげにて・・・いかにも趣のある様子で。美しい様子で。
ふくみて・・・ふくらんで。
気色ばかり・・・ほんの形だけ。少しばかり。
もの清げなる・・・なんとなくきれいな。小ざっぱりした。
ゐたまひぬ・・・「居る」は、すわる、腰をおろす意。
しり目・・・横目。流し目。
しどけなく・・・乱雑でだらしなく。
人げ近く・・・人がすぐ近くにいる様子で。
世づきて・・・色けづいて。「世づく」は男女の情を解する、色けづく意。
耳かしがましき・・・やかましい。
まつはれにける・・・巻きついたので。
ひこじろふ・・・無理に引っぱる。
あらはに・・・丸見えに。
とみに・・・すぐに。急に。
この柱のもとに・・・御簾のさげてある柱のところに。
心あわただしげに・・・心の落ちつかない様子で。





若菜上~几帳のきはすこし入りたるほどに~

【冒頭部】
几帳のきはすこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。・・・・・・

【現代語訳】
几帳のそばから、少し奥にはいったあたりに、袿姿で立っていらっしゃる人がある。(そこは寝殿の南正面の)階段から西へ二番めの間の東の端なので、かくれようもなく丸見えに見通すことができる。紅梅がさねであろうか、(紅や紫の)濃い色や薄い色が、次々と、たくさん重なっている(色の)変化もはなやかで、(さまざまな色の紙を綴じ合わせた)草子の小口のように見えて、(上着は)桜がさねの綾織物の細長であるようだ。御髪が、末のほうまではっきり見えるのは、まるで糸をよって掛けたようになびいて、髪の裾がふさふさと切りそろえられているのは、まことに美しい感じで、(身長より)七、八寸ばかり余っていらっしゃる。お召し物が、裾を長く引いて、(おからだは)たいそう細く小柄であって、からだの様子や髪の垂れかかっていらっしゃる横顔は、言いようもなく上品でかわいらしい。夕日の光なので、はっきりせず、(部屋の)奥が暗い感じがするのも、(柏木にとっては)ほんとうに物足りなく残念である。鞠に夢中になっている若い君達が、桜の花の散るのを惜しんでいられない様子を見物するとて、女房たちは(女三の宮の姿が)丸見えなのを、すぐには気づくことができないのであろう。猫がひどく鳴くので、振り返りなさった(女三の宮の)顔つきや態度などは、たいそうおっとりしていて、「若くかわいい人だなあ」と、ふと(柏木には)感じられた。
大将(=夕霧)はほんとうにはらはらするが、(まくれ上がった御簾を直しに)近寄るのも(身分がら)かえってひどく軽率なので、ただ気づかせるために、咳ばらいをなさったときに、(女三の宮は)静かに奥へおはいりになる。そのくせ実は、夕霧自身の心にもたいそう物足りない気持ちがなさるけれども、猫の綱をはずしたので(御簾が下りて女三の宮の姿が見えなくなり)、思わずため息がもれる。ましてあれほど(女三の宮に)心をひかれている衛門の督(=柏木)は、胸がぐっといっぱいになって、「いったい、どなたであろうか、大勢の(女房たちの)中ではっきり目立つ袿姿から推しても、他の人と間違えるはずもなかったご様子は(まさしく女三の宮であった)」などと、気になって思い出される。(柏木は)何げない顔にふるまっていたが、「どうして(柏木が女三の宮に)目をつけないことがあろうか(見たに違いない)」と大将は(女三の宮を)気の毒にお思いになる。(柏木は)どうにもたまらない心の慰めに、猫を招き寄せて抱きしめると、(女三の宮の移り香で)たいそういい匂いがして、かわいらしく鳴くにつけても、(女三の宮に)なつかしく思いくらべられるのは、好色めいていることだ。

【語 句】
まぎれどころもなく・・・障害物もなく。
すぎすぎに・・・「次々に」と同じ。
そばめ・・・横顔。
あてに・・・上品で。気品があって。
らうたげなり・・・愛らしい。
夕かげ・・・夕日の光。「かげ」は光。
惜しみもあへぬ・・・あえて惜しんでもいられない。かまってもいられない。
おももち・・・顔つき。
もてなし・・・態度。ものごし。挙動。
うつくしの人や・・・かわいい人よ。
かたはらいたけれど・・・はたで見ていて苦しく感じるが。気がかりではらはらするが。
なかなか・・・かえって。むしろ。
心を得させて・・・気づかせるために。事情をわからせるために。
やをら・・・ゆっくりと。静かに。
さるは・・・そのくせ。とはいうものの。
心にもあらず・・・無意識に。われ知らず。
心をしめたる・・・心を染ませている。深く思いをかけている。
たればかりにかはあらむ・・・だれほどの人であろうか。
ここらの中に・・・多くの女房の中で。「ここら」は、たくさん、多数。
しるき・・・「しるし」は、はっきり目立っている、きわだっているさま。
わりなき心地・・・やるせない気持ち。
すきずきしきや・・・好色じみているよ。好色らしく見えることだ。









PAGE TOP