【方丈記】
1212年、鴨長明の作。うちつづいた大火、飢饉、大地震などの経験から、世の無常を感じて出家し、日野山に方丈の庵をむすんで遁世したことを記す随筆。和歌にすぐれ、一時和歌所の寄人として仕え、歌論書に『無名抄』がある。
【冒頭部】
ゆく河の流れは絶えずして、
【現代語訳】
いつも滔々とゆく河の流れは絶えることなく、それでいて、もとの水ではない。流れのよどみに浮かぶあわは、一方では消えるかと思うと一方ではまたできたりして、いつまでもそのまま存在しているものではない。この世に生きている人と住んでいる家とが、やはりこのようなものである。
美しくりっぱな京の町に、棟を並べ、いらかを競いあっている、身分の高い人、低い人の住居は、長い時代を経てもなくならないものだけど、このことが真実がどうかと調べてみると、昔から存在した家は珍しい。あるものは去年焼失して今年建て直している。あるものは大きな家が没落して小さな家になっている。住んでいる人もこれと同じである。場所も同じ京の町で変わらず、人の数も今までどおり多いけれど、昔会ったことのある人は、二、三十人の中で、わずかにひとりふたりである。どこかでだれかが朝死に、夕方にはまただれかが生まれる世のしきたりは、全く水のあわにそっくりである。わからぬ、生まれ、そして、死にゆく人は、どこからこの世におとずれ、どこへ去って行くのかを。またわからぬ、この世の仮の住まいについて、いったいだれのために心労し、何をしようとして(家を建てて)目を楽しませるのか。その家の主人と仮の住居とが、無常を競いあっている様子は、換言すれば、朝顔の花と朝顔に置いた露との関係と変わらない。あるものは露が落ちて花だけ残っている。残っているとはいっても、朝日の光の中で枯れてしまう。あるものは、花が先にしぼんで、露はまだ消えないでいる。消えないとはいっても、夕方まで存在することはない。
【語句】
絶えずして・・・切れめなく絶えないで
よどみ・・・水が流れずにとどまっているところ
うたかた・・・水のあわ
かつ・・・一方では
ためしなし・・・例はない
たましきの・・・玉を敷いたように美しい
棟を並べ、甍を争える・・・棟を並べ甍の高さを競いあっている
高き、卑しき、人のすまひは・・・身分の高い人、低い人の住まいは
尽きせぬ・・・なくならない
まことかと・・・ほんとうかと
あるいは・・・あるものは。ある人は。ある時は。
所も変わらず・・・同じ場所だが少しも変わっていない
朝に死に、夕べに生まるるならひ・・・一方で死ぬ者があるかと思えば、一方では生まれてくる命もあるという世のためし
知らず・・・理解できないわからない
仮の宿り・・・はかないこの世の住まい
たがためにか心を悩まし・・・いったいだれのために心労し
何によりてか目を喜ばしむろ・・・何をしようとして目を楽しませるのか(何になろうか)
その、あるじとすみかと・・・その家の主人と仮の宿りの住居とが
無常・・・世の中のいっさいのものがいつまでもそのまま存在するはずなく、生々流転するということ
【冒頭部】
われ、もの心を知れりしより、
【現代語訳】
私が、世間や人生の道理がわかるようになった時から、四十年以上の年月を過ごしてきた間に世の中の不思議なできごとを目の前に見ることが、しだいに回数を重ねるようになった。
去る安元三年四月二十八目のことであったか。風がはげしく吹いて、少しもおさまらなかった夜、午後八時ごろのこと、都の東南から火事が起こり、西北にと広がっていった。最後には朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などにも燃え移り、一夜のうちに灰燼に帰してしまった。
火もとは、樋口富の小路とかいうことで、舞人をとめていた仮小屋から出火したということである。あちこちへと吹きさまよう風のために、(火も)あちこちへと燃え移っていくうちに、扇を広げたように末広の状態でますます広がっていった。(火災の現場から)遠くへただっている家は煙にまかれて息づまるようであり、近くのあたりではただもう火炎を地に勢いよく吹きっけていた。牢には高々と灰燼を吹きあげていたので、それが火の光に照らし出されて、あたり一面まっかになっている、その状況の中で、風に追いあげられこらえきれずに、吹きちぎられた炎が、飛ぶようにして一つ二つの町を越えては燃え広がっていく。
【語句】
もののl心・・・世間人生のもっている意味
春秋・・・年月
世の不思議を見る・・・世の中の想像もできないような出来事に出会う
やや・・・しだいに。だんだん。
去んし・・・去る
かとよ・・・~~であったかと思う
戌の時・・・十二支の十一番目。午後七時から午後九時の間
東南・・・「辰巳」に同じ。
西北・・・「戌亥」に同じ。
朱雀門・・・大内裏南面の正門
大極殿・・・大内裏の正殿
大学寮・・・二条朱雀大路にあった貴族の子弟の教育所
民部省・・・太政官に属する八省のうちのひとつ
樋口富の小路とかや・・・樋口小路と、富の小路の交差したところ
舞人・・・舞楽を舞う人
となん・・・という
とかく・・・あちらこちらへ飛び火する様子
末広になりぬ・・・末広がりになっていった
遠き家・・・近きあたり・・・・・・火から、遠い家、近いところ
むせび・・・煙にまかれて息づまる
映じ・・・照らし出されて
あまねく・・・あたり一面(にゆきわたる)
風に堪えず・・・風に追いあげられこらえきれず
越えつつ・・・越えては
【冒頭部】
その中の人、現し心あらむや。
【現代語訳】
炎の中にいる人は、生きた心地がしたであろうか、とてもしなかったであろう。ある者は煙にまかれて息苦しくなりうつぶせに倒れ、ある者は炎にめまいがしてたちまちのうちに死んでしまった。ある者はわが身だけ、やっとのことで逃げ出したとしても、家財道具を運び出すところまではできなく、こうしてたくさんの宝ものがそっくりそのまま灰と化してしまったのである。その損失は、どれほど犬きかったか言語に絶するものであったであろう。その時の火災で、高級官吏の家十六家崖が焼失してしまった。ましてそれ以外の家の焼失数は、数えあげようとしてもとてもできるものではない。焼失した地域全体としては、都の全地域の、三分の一の広さに及んでいるという。男女で死んだ者の数は数十人、馬・牛の家畜類にいたってはどれほど死んだかその数もつかめない。
人間のやること成すこと、何もかもが馬鹿げている中で、特にこれほど危険な京の町中の家を建てようとして、資財をすべて投げうって、ああしようこうしようと心労することは、もっともつまらぬ無駄なことでございます。
【語句】
現し心・・・生きた心地
あらむや・・・あるだろうか、いやいない
まぐれて・・・目がくらんで
七宝万宝・・・珍しい宝物
その費え・・・その損害
いくばくぞ・・・どれほど多かったことであろうか
公卿・・・上級の朝官
辺際・・・限り。際限。
あぢきなく・・・つまらない。価値がない。
【冒頭部】
また、治承四年卯月のころ、中御門京極のほどより大きなる辻風おこりて
【現代語訳】
また、治承四年四月のころのこと、中御門京極のあたりから大きなつむじ風が巻き起こり、六条界わいまで吹きぬけるという出来事がありました。
三四町を猛烈な勢いで吹きぬける間に、そのつむじ風に巻きこまれた家屋という家屋、大きな家も小さな家も、一軒たりとも破壊されないものはなかった。(家が)そっくりそのままぺしゃんこにつぶれたものもあれば、横柱やたて柱だけが残ったものもあった。門を吹き飛ばして、四つ五つ向こうの町の遠く離れた所に移し換え、また、垣根を吹きはらって隣家との境もなくし地つづきにしてしまうような所もあった。そういう状態なのでましてや、家の中の調度品から財宝などは、いっさいがっさい空に舞いあがってしまい、屋根にふいてあった檜皮や葺板の種類は、冬の木の葉がこがらしに乱れ散るように天空に舞いちらばった。ほこりを煙のように吹きあげたので、全く何も見えなくなり、(うずまく風が)激しく鳴り響くので、何も聞こえない。あの地獄に吹きまくるという悪業の風にしても、(そのひどさかげんは)これぐらいのものであろうと思われるのである。家屋が損壊亡失しただけでなく、その家を修繕するうちに、けがをし、体が不自由になった人は、多すぎてその数もわからない。このつむじ風は、その後南南西の方角に移動してゆき、(また荒れ狂い)多くの人々を悲嘆にくれさせた。
つむじ風はいつでも吹くものではあるけれど、こんなにひどく吹くことがあるであろうか、まずなく、異常なことであり、何か神や仏のお告げであろうか、などと疑ってしまいました。
【語句】
さながら・・・そのまま。
おびたたしく・・・ひどく。激しく。
【冒頭部】
また、養和のころとか、久しくなりて覚えず、二年があひだ、
【現代語訳】
また、養和年間であったと思うが、―あまりに長い時を経てしまったのではっきりわからないが―二年間、世間では食料が不足して飢え苦しみ、何ともいいようのない(ひどい)事態が起こりました。ある年は春・夏のことで旱魃、ある年は秋のこと、大風・洪水などと、悪い現象が次々と連続して、五穀はすべて実らなかった。無駄に春耕作し、夏に苗を植える作業をするが、秋になって刈り取って冬には収納するというにぎわいはみられなかった。
このために、諸国の住民は、ある者は土地を投げ捨てて国を飛び出し、ある者はわが家を投げうって山中に移り住む。(天災を怖れて)いろいろなお祈りが(朝廷において)始まり、特に念入りな加持祈?が行われたが、一向にその効果はあらわれなかった。京の町の暮らしは、何事につけても、その根源は地方をたよりとしているのに、全く必需品が送られてこないので、そうそういつものような平静をたもっていられようか、とてもいられない。じっとがまんしようとするが耐えられないで、いろいろの財宝・調度品を、手あたり次第に捨てるがごとく処分するけれども、少しも、それらの品々に目をつけてくれる人もいない。まれに(食糧と)交換する者がいても財宝の値うちの方がずっと重くみられる。物乞いは、路傍にあふれ、(どうにもならない現状に)沈み悲しむ声が方々から聞こえてきた。
【語句】
あさましき・・・意外なことがあって驚く。
むなしく・・・何にもならない。無駄な。
いとなみ・・・つとめ。仕事。作業。
【冒頭部】
前の年、かくのごとくからうじて暮れぬ。
【現代語訳】
飢饉のあった養和二年間の前半の年、こんな状態でやっと終わった。次の年は(飢饉から)復興するであろうと思っていると、病気までが加わって、ますますひどく、(回復の)きざしがない。世間の人々はだれもが困惑しきっていたので、日がたつにつれて生活に窮乏していく様子は、「少水の魚」のたとえにぴったりである。ついには、笠をかぶり、足を脚絆でまきつつみ、見苦しくない服装で身をととのえた者が、一心に一軒一軒物ごいをして歩く。このように困りはてゝ痴呆になってしまった物乞いたちが、歩いているかと思うと、そのまますぐに倒れ横たわってしまった。土塀のかたわら、道のはたで、飢え死にしていく人々の数は、はかりしれない。その死体を処理するすべもわからないので、異様な臭気があたり一面にみちあふれて、(死体の)くさり変形していく様子は、まともに見ることもできない状態がほとんどだった。まして、河原などには、(死体がはんらんしていて)馬や車の行きかう道さえもなかった。身分の低い木こりも力尽きて、(薪を運ばないので)都には薪までも欠乏してきたので、生計のあてのたゝない人は、自分の家をこわして、市に運び出して売りさばく。ひとりが運び出して売って得た収入は、一日の命をつなぐにさえ足りないということである。不思議なことは、薪の中に、赤い塗料が付着し、金箔(金属をうすくのばして装飾用にはったもの)などの所々にはってあるのが見える木片が、まじりあっているのでどういうわけか調べてみると、暮らしのすべのどうにもならない者が、古寺に忍び入って仏像を盗み、寺の器物・調度品から建物の一部までも破壊しうばい取って、それをうち砕いたのであった。乱れきった末世に私は生れあわせて、こんななさけない人間の行為を見ましたのです。
【語句】
あまりさへ・・・それに加えて。そのうえ。おまけに。
よろしき姿・・・きちんとした、結構な姿。
わび・・・困る。
【冒頭部】
また、いとあはれなることもはべりき。さりがたき妻・をとこ
【現代語訳】
また、たいそう心から感動させられるようなこともありました。離れがたい妻をもち、また去りがたい夫をもった(愛ににちた)夫婦の間では、その愛情のより深いがわの者が、必ずさきに死んでいった。その理由は、自分のことはあとまわしにして、相手をかわいそうに思い心をくだいているので、たまたま手に入れた食べ物までも、相手に譲ってしまうためである。そういうわけで、親子で生活している者は、きまって、親の方がさきに死んだ。また、母親の命がすでに尽きてしまったのを知らないで、ごく幼い子が、やはりまだそのまま乳を吸っていて横になっているような姿もあった。仁和寺にいた隆暁法印という人は、このようにして数限りなく死んでいく現状を悲しく思い、死んだ人の頭をみつけるたびに、額に阿字を書いて、迷わずに成仏できるように仏との縁結びをさせる善行をなされたのである。死んだ人の人数を調べようとして、四・五の二か月数えて歩いたところ、京の町で、一条通りよりは南、九条通りより北、東の京極通りよりは西、朱雀大路よりは東一帯、つまり左京地区の路傍にある死体の頭は、全部で四万二千三百体以上あった。まして、この二か月の前後に死んだ者も多く、また賀茂河原・白河(京の東北郊外)・西の京(右京地区)など、あちらこちらの辺ぴな土地を勘定にいれていうならば、限りない数であろう。だからましてや、七道の国々までも計算に加えたら膨大な人数となるであろう。
崇徳院が天皇の御位におつきの時、―長承のころということだが―このようなひどい例(飢饉)があったと聞いたけれど、その時の状況はわからない、しかしながら(この度の悲惨な状況は)私が目の前にはっきり見たのであってめったにないことであった。
【語句】
あはれなること・・・心のしみじみと感ずること。
いとけなき・・・幼い。幼稚だ。
【冒頭部】
また、同じころかとよ、おびただしく大地震ふることはべりき。
【現代語訳】
また、(養和の飢饉と)同じころであったろうか、大地震によって激しく揺れ動くことがありました。その状況は、普通にはない異常なものであった。山はくずれ落ちて河を埋めてしまい、海は大揺れに揺れて(津浪が押し寄せ)陸地を水びたしにしてしまった。大地はまっぷたつとなり水が噴きあげ、岩壁はくずれ割れて岩石が谷にころげ込んだ。海岸べりを漕ぎ進んでいた船は波間にゆれただよい、道路を歩み進んでいた馬は足の踏み場をまよわされてしまった。平安京の近くでは、あちらこちらで、(倒壊し)お堂や塔の、完全なものはなかった。あるものはくずれ、あるものは倒れたのである。ちりや灰が空に立ち昇って、燃えさかる煙のようであった。大地が揺れ動いて、家屋の倒壊する音は、雷鳴と同じであった。家の中にいると、たちまちにして押しつぶされそうになる。外へ飛び出ると、地面に亀裂が生じる。鳥のように羽がないので、空を飛ぶこともできない。もし龍であるならば、雲に乗るであろうか。恐ろしいことのうちでことに恐ろしかったことは、ただひたすらに地震であるぞと思ったのであった。
このように、激しくゆれ動くことは、しばらくしてやんでしまったが、その余震の方は、長いことつづいた。いつもなら、びっくりするぐらいの地震が、二三十回おそってこない日はなかった。大地震から十日二十日も過ぎてしまうと、次第に間隔もあいて、ある時は一日に四五度、二三度、あるいは一日おき、二三日に一度などと、おおよそその余震は、三か月ほどつづいたでしょうか。
仏教で説く四大種(地・水・火・風)の中で、水・火・風は常に人間に害をあたえるが、大地の場合はあまり異変をあたえない。昔、斎衡のころと聞いているが、大地震があって、東大寺の大仏の頭が落ちたということだが、このように大変な事件もあったけれど、やはり今回の大地震にはとても及ばないという。その時は、人はみなこの世は無常だと嘆いて、少しでも日常の煩悩が消えていくかと思えたが、月日をかさね、年をへるに従って、ことばに出して(地震の恐ろしさを)言い出す者さえなくなった。
【語句】
まろぶ・・・ころがる。
あぢきなき・・・無価値な。無常な。
おほかた・・・おおよそ。だいたい。
【冒頭部】
わが身、父方の祖母の家をつたへて、
【現代語訳】
私の身の上は、(次のようなものである。)父親の方の祖母の家屋敷を受け継いで、長いことそこに住んでいた。その後、縁が切れてしまい私の身の上も衰微し、忘れ得ぬ思い出はいろいろと多かったけれど、とうとうそれ以上はその家での生活を支えていくことはできなくなり、三十歳を少し過ぎたころ、あらたにわが意のままに、一軒の小さい家をかまえた。この家を以前住んでいたすまいに比べると、十分の一の広さしかない。寝起きするだけの家をかまえて、きちんと付属の家屋の整った屋敷を建てるまでにはいかなかった。やっとのことで土塀は築いたけれども、門を建てるだけの資金的な余裕もない。竹を柱とした仮小星に牛車をおさめた。雪が降った
り、風が吹いたりするたびに、非常に危険であった。住んでいる場所が、河原に近いので、水難の心配もあり、盗難のおそれも多い。
総じて、住みにくい世の中を耐えて過ごしてきて、心労すること、三十と何年かである。その開、その時々の蹉跌に会い、自然に私の不巡をさとった。すぐに、私は五十歳の春を迎えて、出家し、遁世してしまった。もともと妻や子どもがいないので、離れにくい縁者もなかった。私には官位も俸禄もないので、何事に対しても執着することがあろうか。何もありはしない。何らなすところなく大原山の雲の下に暮らして、更に五回目の年月を経過したのであった。
【語句】
わが身・・・私の身の上
父方の祖母・・・作者(長明)の父方の祖母
家をつたえて・・・家を受け継いで
かの所・・・父親の方の祖母の家屋敷
縁かけて身衰へ・・・縁が切れてしまって身もおちぶれ
しのぶかたがたしげかりしかど・・・あれこれなつかしく思うよすがとなるものは多かったが
あととむること・・・行動したあとに残ったもの
三十あまり・・・三十歳を少し過ぎ
さらにわが心と、一つの庵をむすぶ・・・新たに、一軒の粗末な家をわが心のままに建てた
ならぶる・・・比べる
居屋ばかりをかまえて・・・ただ自分の住むところだけを造って
はかばかしく・・・きちんと整って
たづきなし・・・資力がない
竹を柱として車をやどせり・・・竹を柱として車を置く所とした。
あやふからずしもあらず・・・非常に危険であった
所・・・一つの庵
水の難も深く、白波のおそれもさわがし・・・水害の危険も多いし、盗賊の心配もあって不安である。
あられぬ世・・・住みにくい世間
念じすぐし・・・耐え忍んで過ごして
をりをりのたがいめ・・・時々の思い通りにいかないこと
みじかき運・・・不運
家を出て、世を背けり・・・出家して、俗世間を離れた
捨てがたきよすがもなし・・・別れがたい肉親はだれもいない
官禄・・・官位、俸禄
何につけてか執をとどめん・・・何に執着を残そうか、いやない
むなしく・・・無意味に
大原山の雲にふして・・・大原山に住み
また五かへりの春秋をなん経にける・・・さらに五年の年月を送ってしまった
【冒頭部】
ここに六十の露消えがたに及びて、
【現代語訳】
さて六十歳の露が消えそうにはかない老年に至って、更に終えんを迎える命の安住のいおりをかまえることがあった。例えていうなら、旅人が一晩の宿をもうけ、年老いた蚕がまゆをつくるのと同じである。このいおりを河原に建てた住まいに比べると、またまた百分の一の広さにも及ばない。あれこれいううちに、年齢は年ごとに高くなり、住まいは転居するごとにせまくなる。その家の様態は、世間一般のものとは少しも似ていない。広さはかろうじて一丈四方、高さは七尺にも達しない。建てる場所をはっきりここときめてかかったわけではないので、土地を自分のものとして所有して建てたのでもない。土台を組み、簡単な屋根をふいて、建てものの継ぎ目ごとに(取ったりつけたりできる)かけがねをかけた。もし、白分の思いにしっくりいかない
ことがあったら、簡便によそへ移そうとするためである。そのような、簡便な家を建てなおすことに、どれほどの面倒があろうか、全くありはしない。車に積むと、たった二両でことはすみ、車の力を借りたお礼をする以外には、ほかに費用はかからない。
【語句】
ここに・・・さて、そこで。
六十の露消えがた・・・六十歳という露のようにはかない命の終わりの頃になって
松葉の宿り・・・余生を送るための住まい
中ごろの栖・・・中ごろ住んだ家
また百分が一に及ばず・・・百分の一のも足りない
歳々に・・・年々
をりをりに・・・引っ越すたびに
よのつねにも似ず・・・世間で普通にみられるものとは違う
方丈・・・四畳半
思ひ定めざるがゆゑ・・・あれこれと考えてきめなかったから
地を占めて・・・宅地と定めて
土居・・・土台
うちおほひ・・・簡単な屋根
かけがねを掛けたり・・・取りこわし、組み立てのできるかけ金でとめた
いくばくのわづらひかある・・・どれだけの面倒がかかろうか
車の力を報ふ・・・車を引く労力に払う報酬
用途・・・費用
【冒頭部】
いま日野山の奥に跡をかくしてのち、
【現代語訳】
目下、目野山の奥に隠れ住むようになってから、(方丈のいおりの)東側に三尺ちょっとのひさしをつき出して、その下でたきぎの柴を折ってたける便利なところとした。南側に、竹のすのこを敷いて、そのすのこの西側に闘伽棚をもうけ、室内の西側の北によせて衝立を境にして阿弥陀如来の絵像を安置し、そばに普賢薔薩を絵にかいて掛けて祀り、その前には法花経を置いた。東のはしにはわらびの穂が伸びすぎてほやほやになったのを敷いて、寝床とした。西南には竹のつりだなをすえつけて、黒い皮籠を三つ置いた。そこでそれらには、和歌・管絃に関する書や『往生要集』のようなものの写本・抜粋を入れた。そばに、琴・琵琶をそれぞれ一面づつ立てておいた。よくいう、おり琴・つぎ琵琶がこれである。仮りの住まいの様子は、このようなものである。
その住んでいる場所のありさまを伝えるならば、南にかけいがある。岩を立体的に配置して、水をためた。林の本々が近いので、たきぎを拾うのに不自由しない。その地名は外山と呼んでいる。まさきのかづらが、人の往来する小道をおおっている。谷は木々が茂っていて(見通しも悪いが)、西に向かって開けている。それで西方の極楽浄土に対して思いをこらし精神を集中するのに、便宜がないわけではない。春は波うつような藤の花を見た。(阿弥陀如来の来迎の時の)紫の雲のように、西の方角に咲き匂っていた。夏はほととぎすの声を聞いた。そのほととぎすの鳴く声をきくたびに、私がもし死んだら私の死への山路を案内してくれることを約束した。秋はひぐらしの声が、耳にこだまするように満ちあふれた。はかないこの世を悲しむほどに聞こえる。冬は雪をみて心に深く感じた。雪が積もり消えていく様子は、(迷いや怠惰によって心に積もり、深い改心によって消えていく)悟りの障害にたとえることができるにちがいない。
【語句】
いま・・・目下
日野山・・・京都市伏見区日野にある
跡をかくして・・・人の目を避けて、奥深い所へ身をひそめ
庇・・・雨などをさけるための屋根
柴折りくぶるよすがとす・・・木々の小枝を折って火をたく便利なところとした
簀子・・・木・竹などのうす板を少しずつ間をあけて打ちつけた台
閼伽棚・・・仏に供える水や花を置く棚
障子・・・障子の衝立
阿弥陀の絵像・・・阿弥陀如来の姿を絵にかいたもの。
普賢をかき・・・普賢菩薩をかいたものを懸けて
法花経・・・法華経。大乗仏教の経典
きは・・・最もはしの所
蕨のほどろ・・・蕨の穂がやわらかくなりほやほやになったもの
夜の床・・・寝床
皮籠・・・かわご。竹であんだ上に皮をはった籠
管弦・・・管楽器・弦楽器。音楽のこと。
往生要集・・・源信僧都の宗教書。
抄物・・・写したもの、抜き書きしたもの
一張・・・琴・琵琶を数える単位
をり琴・つぎ琵琶・・・折ったり継いだりして、折りたたみ組み立てのできる琴・琵琶
その所のさまをいはば・・・方丈の庵のある様子をいうならば
懸樋・・・竹や木の桶を地面より高い所をはわせて、水を導き流すもの。
岩を立てて・・・岩を組み立てて
爪木をひろふに乏しからず・・・たきぎにする折れ木に不自由しない
まさきのかづら、跡埋めり・・・まさきのかずらが、道をおおいかくして埋めてしまっている。・
谷しげれど西晴れたり・・・谷は木々が繁っているが、西の方は開けていて見晴らしがきいている
観念のたより、なきにしもあらず・・・西方極楽浄土を心に念ずる手がかりがないというわけではない。
藤波を見る・・・紫の藤の花が波のように豊かに咲いている情景
紫雲ごとくして、西方に匂う・・・(それはちょうど阿弥陀仏来迎の際の)紫雲のように、西の方に色美しく咲くのである。
郭公・・・ほとぎす
語らふごとに、死出の山路を契る・・・ほととぎすが話しかけて鳴くたびに、私の死出の山路を約束する。
うつせみ・・・せみのぬけがら。はかない世の中の意。
あはれふ・・・心にしみじみと感じてめでる
罪障にたとへつべし・・・きっと~に違いない
【冒頭部】
もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、
【現代語訳】
もし、念仏が人儀で、読経もまじめにできない時は、自分の意思のままに休むようにし、白分自身で怠けてしまうことだ。(そうしたからといって)それはいけないと邪魔する人もいないし、また気がねするような人もいない。あらたまって無言の精神修養をしなくとも、たったひとりの生活であれば、口のわざわいを防げるにちがいない。必ず仏道修行者の戒律を守ろうとしなくても、戒律を破るような状況がなければ何に対して破ることがあろうか、破るはずがない。もし、進みゆく船の後尾にあわだつはかない白波に、私のこの身をなぞらえる朝には、岡の屋に往復する船をながめて、万葉歌人満誓にあやかってかれの気分を盗んで歌をよみ、もし、桂を吹渡る秋風が、その葉を鳴らす夕方には、白楽天の溥陽江を思いやって、大宰権帥源都督のまねをして琵琶を演奏する。もし、興趣にあまりあれば、折にふれて松風の音にあわせて雅楽の「秋風楽」をひいてみるし、流れゆく水の音にあわせて琵琶の「流泉の曲」をひいてみる。私の技芸は下手であっても、聞く人の耳を楽しませようというのではないからそれでいい。ひとりで琵琶を演奏し、ひとりで歌をうたって、自身心を慰めるだけである。
【語句】
念仏ものうく・・・念仏を唱えるのがおっくうである
読経まめならぬ時・・・お経を読むことが身に入らない時は
みづから休み、身づからおこたる・・・自分勝手に休み、自分勝手になまける
さまたぐる人・・・(それを)さまたげる人
恥づべき人・・・念仏や読経を休みなまけると恥ずかしいと感じるような相手
無言をせざれども・・・無言の行をしなくても
口業を修めつべし・・・言葉がひきおこす罪を犯さないですますようになるにちがいない。
禁戒を守るとしもなくとも・・・必ず戒律を守ろうとしなくても
境界なければ何につけてか破らん・・・戒めを破るような環境がないのだから、何によって破ろうか、何も破るものはないのだ
あとの白波に、この身を寄する朝には・・・舟の通ったあとに立つ白波が、(すぐ消えてしまうようなはかないこの世に)この身を思い寄せる(ことがあれば、そんな)朝には
岡の屋・・・宇治川沿いにある地
満沙弥が風情を盗み・・・満誓沙弥の趣向をまねて(歌をよみ)
桂の風、葉を鳴らす夕には・・・桂の木に吹く風が、葉を鳴らす(ことがあればそんな)夕方には
潯陽の江を思ひやりて・・・白楽天(唐の詩人)の、琵琶をつまびき夜客を送った潯陽江の趣きを思いやって。
源都督のおこなひをならふ・・・源都督をまねて自分も琵琶を弾く
余興あれば・・・和歌を詠み、琵琶をひいてもなお興趣がわいてくる
しばしば松のひびきに秋風楽をたぐへ・・・何回も松風の音にあわせて秋風楽を弾いたり
水のおとに流泉の曲をあやつる・・・流れる水の音にあわせて流泉の曲を奏でたりする
芸はこれつたなけれど・・・芸は拙いものであるが
人の耳をよろこばしめむとにはあらず・・・(上手に弾いて)人の耳をよろこばせようというのではない
ひとりしらべ、ひとり詠じて・・・自分ひとりで演奏し、自分ひとりで歌を詠んで
情をやしなふ・・・心を慰める
【冒頭部】
おほかた、この所に住みはじめし時は、
【現代語訳】
そもそも、この目野の外山に住まいを定めた時は、ほんのちょっとと思って生活を始めたけれど、今ではもう、五年を経過した。仮りの住まいも次第に住み慣れた所となって、屋根には朽ちた木の葉があつくつもり、土台には苔がむしている。それとなく、用事のついでに都の様子を聞いてみると、この山に隠れ住むようになってからのち、身分の高貴な方がおなくなりになられた例もたくさん耳にする。まして、ものの数にもはいらない身分の低い人の場合は、全部を知りつくすことはできないほどである。度重なる火災で消滅した家は、更にどれほどあろうか。ただひたすらにこの仮の住まいだけは、のんびりと何事もなく無事であった。住まいは狭くても、夜寝るだけの床はあるし、昼すわっているスペースはある。わが身を落ち着かせるには充分である。やどかりは小さい只を好む。それは自分のことを知っているからである。みさごは荒波の寄せる岩場にいる。
【語句】
おほかた・・・そもそも。だいたい。
あからさま・・・ほんのちょっと
ややふるさととなりて・・・だんだん住みなれて
軒に朽ち葉ふかく、土居に苔むせり・・・軒には朽ち葉が積もり、土台には苔がはえてしまった
おのずから、ことの便りに都を聞けば・・・たまたまなにかのついでに都の話を聞くと、
やむごとなき・・・身分の高い
かくれたまへるもあまた聞こゆ・・・おなくなりになった人も数多いという
その数ならぬたぐひ・・・人数にも入らないような(身分の低い)者たち
尽くしてこれを知るべまらず・・・全部数えあげて、その数を知ることなどとてもできない
またいくそばくそ・・・またどんなに多いことか
ただ仮りの庵のみ、のどけくしておそれなし・・・ただこの仮住まいの庵だけは、のんびりしていて何の心配もない。
程せばし・・・手ぜまだとはいっても
昼ゐる座・・・昼間すわっている場所
一身をやどすに不安なし・・・わが身一つを置くのに不足はない
かむな・・・やどかり
みさご・・・たか・わしのような猛さん類の一種
【冒頭部】
すなはち、人をおそるるがゆゑなり。
【現代語訳】
それは、人間を危険視するためである。私もまたそれと同じことだ。わが身を知りつくし、世開を理解しているので、欲ばらず、あせらず。ただひたすら静かな暮らしを望みとし、心配ごとのない人生を楽しみとしている。総じて世間の人が住居をつくる習慣は、必ずしも、自分のためにあるわけではない。ある場合は妻子・一族のためにつくり、ある場合は近親者・友人のためにつくる。またある場答は主人・先生のため、もしくは財産・牛馬のためにまでつくる例がある。私は、今、自分自身のために住まいを設けた。他人のためにつくったのではない。どうしてかというと、現世の慣習、わが身の境遇が、つれそわなくてはならない妻子もいないし、頼りとしなくてはならない召使もいないからである。たとい、住まいを広くつくったとしても、だれを住まわせ、だれを置いたらいいのだろうか、だれもいないではないか。
【語句】
身を知り、世を知れれば、願わず、わしらず・・・わが身を知っており、世間を知っているので、ほしがらないし、あせらない。
必ずしも、身のためにせず・・・わが身のために必要としない。
眷属・・・一族郎党(親族や配下の者たち)
親昵・朋友・・・近親者と友人
われ、今、身のためにむすべり・・・私は今、自分の為に家を造った。
ゆゑいかんとなれば・・・どうしてかというと
ともなふべき人・・・妻子
たのむべき奴・・・頼りとする召使い
誰をか据ゑん・・・だれを家に置こうか、だれも置く者はいない
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