【今昔物語集】
成立は平安時代末期、作者は不詳。「今は昔」で各説話が始まるので「今昔」と呼ばれている。全三十一巻、天竺部、震旦部、本朝部にわかれ、説話数は約千、仏教説話と世俗説話の二つにわけられるが、特に本朝部後半の当時の武士や庶民の生活に関する説話は興味深い。文章は漢文直訳体の和漢混交文で俗語を多くとり入れている。芥川龍之介が本書から題材をとって『羅生門』『鼻』などの短編小説を作ったことは有名である。
【冒頭部】
今は昔、丹波の国に住む者あり。田舎人なれども、心に情ある者なりけり。
【現代語訳】
今となっては昔のことだが、丹波の国に住んでいるある男がいた。田舎者ではあったが、風流を解する心の持ち主であった。その男が妻を二人持って、家を並べて住まわせていた。もとの妻は地元の丹波の国の人であった。男は、そのもとの妻を不満に思って、新しい妻は京都から迎えた者であった。その新しい妻をより愛しいと思っている様子なので、もとの妻は、「情ないことだ。」と思いながら暮らしていた。
そうこうしているうちに、秋のころ、北の方で、ここは村里だったので、後ろの山の方で、たいそうしみじみと情趣深げに鹿が鳴いたので、男は(ちょうどその時)新しい妻の家にいた時だったので、この妻に、「あの鹿の声を、どのようにお聞きになられましたか。」と言ったところ、新しい妻は、「あれは煮物にしてもおいしいし、焼き物にしてもおいしい奴だわよ。」と答えたので、男は、あてがはずれて、「『都の者だから、このような情深い鹿の鳴く声などにはさぞ興味を持って和歌などを詠むことであろう。』と思ったのに、少しがっかりした。」と思って、すぐに隣のもとの妻の家に行って、男は、「今鳴いた鹿の声をお聞きになられたか。」と言ったところ、もとの妻は、このように歌を詠んだ。
以前は、あの牡鹿が鳴いて妻を求めたように、私もあなたから恋い慕われたものでした。今でこそ私にかかわりのないものとして鹿の声を聞いておりますけれども。
と。男はこれを聞いて、「たいそういとしい。」と思って、新しい妻が食べることしか思いつかない無粋な言い方と、自然に比べあわせられて、新しい妻に対する愛情がすっかり消えうせてしまったので、離縁して京都に送り帰してしまった。そうして、もとの妻と一緒に暮らすようになった。
考えてみると、男は田舎人ではあったが、もとの妻のあわれな心に感じいって、このように新しい妻を離縁してもとの妻と一緒に暮らすようになったのである。また、もとの妻も風流心があったればこそ、このように和歌を詠んだのだ、と語り伝えている、ということだ。
【語句】
心づきなし・・・気にくわない。興ざめがする。不愉快だ。
ただ・・・ただちに。まっすぐに。
あぢきなげに思ひ・・・おもしろくなく思い。
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