去来抄

【去来抄】
俳諧論書。去来晩年の1704年ごろ成立。「先師評」「同門評」「故実」「修業教」の4編からなり、前2編は去来自筆稿本、他は写本によって伝わる。1775年に尾張の暁台らによって板本『去来抄』(「故実」を除く3編のみ)が刊行されている。内容は、去来がおりに触れて師芭蕉から聞いた句評の詞などを中心に、蕉門の高弟たちとたたかわせた作句論など、蕉風俳諧の理念・手法や表現意識にもわたっており、とくに不易流行や、さび・しをり・細みについての説、匂ひ・ひびき・俤などの付合論は、蕉風俳諧の特質を知るうえに重要である。





岩鼻やここにもひとり月の客

【冒頭部】
岩鼻やここにもひとり月の客

【現代語訳】
先生が京都にお上りになった時、去来(私)は、「洒堂は、この句の下五を『月の猿』とした方がよいと申しますが、私は『月の客』の方がまさっているだろうと申しました。いかがでしょうか。」と質問した。先生は、「『猿』とは何事だ。いったいお前は、この句をどのように考えて作ったのか。」とおっしゃった。去来(私)は、「おりからの明月に浮かれて、山野を句を案じながら歩いておりますうちに、とある岩の突端に、腰うちかけて月を眺めているもう一人の(自分と同じような)風流の士を見つけた、といった情景をよんだつもりです。」と申しあげた。先生は、「ここにもひとり月の客がおりますぞと、自分の方から名乗り出たというようにした方が、どれだけ風流の心もちが強いかしれない。もっぱら自分のことをよんだ句とするがよい。この句は、実は私も大切にして、『笈の小文』に書き入れておいたくらいだ。」とのことであった。あとから改めてよく考えてみると、自称の句にしてみると、風狂の士の面影も浮かんで、最初の趣向に十倍も優っている。まことに作者自身が句の真意を知らなかったよ。

【語句】
吟歩・・・句を案じながら歩くこと。
おのれと・・・自分から。
十倍せり・・・きわめてすぐれている。
趣向・・・構想。構図。





行く春を近江の人とをしみけり

【冒頭部】
行く春を近江の人とをしみけり

【現代語訳】
古人も多く慕い惜しんだ、この琵琶湖近江の過ぎ行く春を、私も湖上がおぼろに霞む春景色を眺めながら、近江の親しい人々と惜しんだことだ。
先師(今は亡き芭蕉先生)が言うには、「(この一句に対する)尚白の非難に、『(句中の)近江は丹波にも(置き換えることができるし)、行く春は行く歳にも置き換えることができる。』と言っている。お前は(この尚白の非難を)どのように聞きますか。」
私(去来)が答えて言うには、「尚白の非難は正当ではありません。琵琶湖の水面が(春霞に)ぼんやりと霞んで、(その情景を目前にするから)春を惜しむのに拠り所があるのでしょう。(行く春の近江ならではの)その場に臨んでの実感を表したものです。」と申し上げる。
先師が言うには、「そのとおりだ。だからこそ、いにしえの文化人も、この近江の国で春愛惜したことは、ほとんど都で春を愛するのに劣らなかったものだよ。」
私が言うには、「今の先生の一言は、心に深く染み透りました。行く歳(年の暮れ)に近江におられたなら、どうしてこのような感興が起こりましょうか。行く春の時季でも丹波におられたなら、(寒い山国では)いうまでもなく、このような感情は浮かんでこないでしょう。自然の風光が、人の心を感動させることは、いかにも本当でございますね。」と申し上げる。
(すると)先師が言うには、「去来よ、お前は、ともに俳諧を語ることのできる者だよ。」と、格別にお喜びになった。

【語句】
しかり・・・そうだ。そのとおりだ。
をさをさ・・・なかなか。少しも。









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