無名抄

【無名抄】
鴨長明による鎌倉時代の歌論書。正確な成立年は不詳であるが、建暦元年(1211年)10月以降、鴨長明没の1216年までに成立したと考えられている。約80段からなる。全一巻。歌論としては、幽玄論、題詠論、本歌取りなどの技術論などを記述している。そのほかにも、先人の逸話や同時代の歌人に対する論評など多岐にわたる内容を持ち、随筆風な記述である。後に醒睡笑などに取り入られた逸話を含んでいる。





おもて歌(一)~俊恵曰く、「五条三位入道のみもとに~

【冒頭部】
俊恵曰く、「五条三位入道のみもとにまうでたりしついでに、

【現代語訳】
俊恵が言うことには、「五条三位入道のお宅に参上致しました折に、『あなたのお詠みになられた歌の中では、どれがすぐれているとお思いですか。世間の人はさまざまにとりざたしておりますが、その意見をとりあげるわけには参りません。明確におうかがい致しましょう。』と申しあげたところ、
『〔夕方になると秋風がじーんと身にしみて感じられる。どうも、鶉も秋風を感じて鳴くようだ。この草ぶかい深草の里で。〕この歌を、私としては代表的な歌にしたいと存じます。』と言われたのを、俊恵はまた重ねて言うことには、『世間では広く一般的に申しますのは、
〔目の前に、咲きほこる桜の花の姿を想像しつつ、いくつも重なる山々を越えてきたことだ。山の頂の白雲が全く桜とみまごうようで。〕
この歌をすぐれたように申しておりますのはいかがでしょう。』と申しあげると、『さあて、世間ではそのように評定しておりましょうかどうか、わかりませんが。

【語句】
俊恵・・・歌人源俊頼の子、作者鴨長明の師。
五条三位入道・・・ここでは藤原俊成のこと。
まうでたりしついでに・・・参上した時に。
御詠・・・お詠みになった歌。
何れかすぐれたりとおぼす・・・どれがすぐれているとおもわれますか。
よそ人・・・他人。
やうやうに・・・いろいろに。
定め侍れど・・・論じておりますが。
それをば用ひるべからず・・・それをとりあげることはできません。
まさしく・・・確かに、はっきりと。
承り候はむ・・・うかがいましょう。
聞こえしかば・・・申しあげたところ
夕されば・・・夕方になると。
身にしみて・・・鶉のからだに秋風がしみると同時に、わが身にもじーんとしみ通った様子を詠んでいる。
鳴くなり・・・鳴いているようだ。
深草の里・・・今の京都市伏見区の地名と同時に「草深い里」の意味もある。
おもて歌・・・代表的な歌。
思ひ給ふる・・・存じます。
あまねく・・・ひろく一般に。
面影・・・心中に想像する姿形。
花の姿・・・桜の花のさま。
先立てて・・・目のさきにあるものとして思うこと。
幾重越え来ぬ・・・いくつも山を越えてきた。
いかに・・・この場合はいかがですか。
いさ~知らず・・・さあ~わからない。
よそにはさもや定め侍らむ・・・世間ではそのように論じておりましょうか。





おもて歌(二)~なほみづからは、先の歌には~

【冒頭部】
なほみづからは、先の歌にはいひくらぶべからず。』と

【現代語訳】
やはり自分は、さっきの(夕さればの)歌にこの歌を比較し論じるわけにはまいりません。』ということでした。」と語って、この件についてひそかに申されたことは、「あの歌は、身にしみてという第三句が、たいへん残念に思われるのです。これぐらいすぐれた歌になりますと、情趣をさらっと表現して、もっぱらそれとなく、身にしみたであろうと思わせてこそ、心ひかれて優雅にも感じるのです、(第一句、第二句と)巧みに詠んでいって、(第三句の)歌のかなめとしなくてはならないところを、あまりにはっきりと表現したので、ひどく情趣が浅くなってしまったのです。」といって、そのあと、
「わたしの歌の中では、
〔吉野山一帯が曇り空で雪が降ると、その麓の里ではしぐれにうたれることだ。〕
これを、代表歌の部類にしようと存じます。もしこれから先の世において(俊恵の代表歌が)よくわからないという人があったならば、(俊恵が自ら)『こう言っていた。』とお伝え下さい。」ということであった。

【語句】
みづからは・・・自分は。
先の歌にはいひくらぶべからず・・・ここでは、「先の『夕されば』の歌に比較して論ずることはできない。」
うちうちに・・・内密に、内々に。
腰の句・・・和歌の第三句目をいう。
覚ゆる・・・思われる(自発・上代の用法)
これ程になりぬる歌・・・これほどすぐれた歌。
けしきをいひ流して・・・情趣をあっさりと表現し。
そらに・・・それとなく、何となく。
身にしみけむかしと思はせたる・・・身にしみたであろうと思わせた。
心にくくも・・・深みがあって心ひかれるさま。
優にも・・・上品で美しいさま。
いひもてゆきて・・・ことばにいいあらわしていって。
歌の詮とすべきふし・・・和歌の眼目(中心)となるべきところ。
さはさはと・・・明瞭に、はっきりと。
むげに事浅くなりぬるなり・・・ひどく情趣が浅くなってしまったのである。
み吉野の山・・・「み」は美称の接頭語、「吉野の山」は奈良県吉野郡にある。
かき曇り・・・一面に曇って。
うちしぐれ・・・秋の終わりから冬にかけて雨が降ったりやんだりする状態。
かのたぐひにせむ・・・あの(おもて歌の)部類に入れよう。
世の末・・・これからの世。
おぼつかなくいふ人・・・俊恵の代表歌がよくわからないという人。
かくこそいひしか・・・このように言っていた。
とぞ・・・「ぞ」の結び「言ふ」「言はるる」を省略した形。





深草の里~俊恵曰く、「五条三位入道のみもとに~

【冒頭部】
俊恵曰く、「五条三位入道のみもとにまうでたりしついでに

【現代語訳】
俊恵が言うことには、「五条三位入道のお宅に参上致しました折に、『あなたのお詠みになられた歌の中では、どれがすぐれているとお思いですか。世間の人はさまざまにとりざたしておりますが、その意見をとりあげるわけには参りません。明確におうかがい致しましょう。』と申しあげたところ、
『[夕方になると秋風がじーんと身にしみて感じられる。どうも、鶉も秋風を感じて鳴くようだ。この草ぶかい深草の里で。]この歌を、私としては代表的な歌にしたいと存じます。』と言われたのを、俊恵はまた重ねて言うことには、『世間では広く一般的に申しますのは、[目の前に、咲きほこる桜の花の姿を想像しつつ、いくつも重なる山々を越えてきたことだ。山の頂の白雲が全く桜とみまごうようで。]この歌をすぐれたように申しておりますのはいかがでしょう。』と申しあげると、『さあて、世間ではそのように評定しておりましょうかどうか、わかりませんが。やはり自分は、さっきの(夕さればの)歌にこの歌を比較し論じるわけにはまいりません。』ということでした。」と語って、この件についてひそかに申されたことは、「あの歌は、身にしみてという第三句が、たいへん残念に思われるのです。これぐらいすぐれた歌になりますと、情趣をさらっと表現して、もっぱらそれとなく、身にしみたであろうと思わせてこそ、心ひかれて優雅にも感じるのです、(第一句、第二句と)巧みに詠んでいって、(第三句の)歌のかなめとしなくてはならないところを、あまりにはっきりと表現したので、ひどく情趣が浅くなってしまったのです。」といって、そのあと、「わたしの歌の中では、[吉野山一帯が曇り空で雪が降ると、その麓の里ではしぐれにうたれることだ。]これを、代表歌の部類にしようと存じます。もしこれから先の世において(俊恵の代表歌が)よくわからないという人があったならば、(俊恵が自ら)『こう言っていた。』とお伝え下さい。」ということであった。

【語句】
やうやうに・・・いろいろに。
まさしく・・・確かに。はっきりと。
そらに・・・それとなく。何となく。
心にくく・・・深味があって心ひかれるさま。
あまねく・・・ひろく一般的に。
さはさはと・・・明瞭に。はっきりと。









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