日本永代蔵

【日本永代蔵】
井原西鶴作の浮世草子で、町人物の代表作の一つ。 貞享5年(1688年)に刊行され、各巻5章、6巻30章の短編からなる。副題として「大福新長者教」。「金持ちはいかにして金持ちになったか」という、町民の生活の心得を飾らずに描いた内容になっている。





世界の借家大将(第一段落)~「借家請状之事、室町菱屋長左衛門殿~

【冒頭部】
「借家請状之事、室町菱屋長左衛門殿借家に居申され候ふ藤市と申す人、慥かに千貫目御座候ふ。
【現代語訳】
「借家請状の事(借家人保証書)、室町菱屋長左衛門殿の借家に住まいされています藤市と申す人は、確かに千貫目の財産がございます。」(と保証人が書いているように、藤市は)「広い世界に並ぶ者のない金持ちは、この自分である。」と、自慢していたその理由は、間口幅が二間しかない店を借りる身分でありながらの千貫目持ち(だからで)、(そのことが)都でも評判になっていたのに、烏丸通りに三八貫目の(貸し付けた)借金の抵当となる家屋敷を取っておいたのが、利息がたまって自然と質流れとなり、初めて家持ちとなって、(藤市は)これを悔やんだ。(そのわけは)今までは借家に居るからこその金持ちといわれたのに、これからは家持ちになった以上、(千貫目くらいの財産では)京の一流商人お歴々の内蔵の塵や埃にしかあたらないからだ。

【語句】
向後・・・この後。今後。





世界の借家大将(第二段落)~この藤市、利発にして、一代のうちに~

【冒頭部】
この藤市、利発にして、一代のうちにかく手前富貴になりぬ。

【現代語訳】
この藤市は、利口者で、一代のうちにこのように暮らし向きが裕福になった。第一に、人間は堅実であることが、世を渡る基本である。この男は、家業のほかに反古紙を綴って帳簿を作っておいて、店を離れないで一日じゅう筆を握り、両替屋の手代が通ると銭や小判の相場を聞いて書きつけておき、米問屋の取引相場を聞き合わせ、薬剤屋・呉服屋の若い者には長崎の様子を尋ね、繰り綿・塩・酒(の相場)は、江戸の出店から書状の届く日を待ち合わせて、毎日何事をも記録しておくので、(人々が)わからない事はここに尋ね(ればわかるというので)、京都じゅうの重宝な存在となった。藤市のふだんの暮らしぶりは、(身なりは)素肌に単襦袢、その上に木綿の綿入れを大きく仕立てたものに綿三百目入れて、これ一枚よりほかに着ることはない。(袖口すり切れを防ぐ)袖覆輪というものも、この人がやり始めて、当世の風俗が、見ばえもよく倹約にもなった。革足袋に雪駄を履いて、ついぞ大通りを走って移動することなどない。一生のうちに、絹織物としては、つむぎの薄い藍色のもの一着、もう一着を(染め返しのきかない)海松茶染めにしたことを、若い時の無分別だったと、二十年も悔しく思っていた。紋所を特に定めず、(ありふれた)丸の内に三つ引きか、または一寸八分の巴を付けて、土用干しにも畳の上に直には置かず、麻袴と鬼綟の肩衣も、幾年着ても折り目正しくしまっておかれた。町内付き合いで出なければいけない葬礼には、(付き合いで)仕方なく鳥部山に野辺の送りをして、人より遅れて帰る途中、六波羅の野道で、丁稚と一緒にせんぶりを引き抜いて、「これを陰干しにしたら、腹薬なのだぞ。」と(言って)ただでは通らず、蹴つまずく所で火打ち石を拾って袂に入れるほどだった。生計を営む世帯持ちたる者は、万事このように気をつけなくてはいけない。

【語句】
堅固・・・堅実。人物的にしっかりしている。





世界の借家大将(第三段落)~この男、生まれつきて吝きにあらず~

【冒頭部】
この男、生まれつきて吝きにあらず。万事の取り回し

【現代語訳】
この男(藤市)は、生まれつきのけちなのではない。万事の生活態度で、人の模範ともなろうという願いを持っていて、これほどの身代になるまで、新年を迎える自宅で餅を搗いたことがなく、忙しい時に人手がかかるし、餅搗きの諸道具の取り扱いも煩わしいと、これも損得勘定によって、大仏前の餅屋へ注文し、餅一貫目につきいくらと(値を)決めた。十二月二十八日の早朝、(餅屋が)忙しそうに連れだって餅を担ぎ入れ、藤屋の店に並べて、「受け取って下さい。」と言う。餅は搗きたてで(温かく)好もしい感じで、正月めいて見える。(ところが)旦那(藤市)は聞かないふりをして算盤をはじいているので、餅屋はかき入れ時だけに暇を惜しみ、幾度も餅を受け取ってくれと交渉するので、気が利いている感じのする若い者(店の手代)が、竿秤の目できちんと量り、受け取って帰した。二時間ほど経って、(藤市が)「今の餅は受け取ったか。」と言うので、(受け取った手代が)「すでに渡して帰りました。」(と答えると、藤市は)「(お前は)この家に奉公するほどにもない奴だな。ぬくもりのさめない餅をよくも受け取ってたものだ。」と(言うので)、再び竿秤に懸けてみると、意外に目方が減っていることに、手代は恐れ入って、まだ食べてもいない餅に呆然と口をあけたのだった。

【語句】
吝し・・・けちだ。ひどく物惜しい。
我を折つて・・・恐れ入って。呆然として。









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