【大和物語】
950年前後の成立と見られる。約三百首の和歌を中心とし、『後撰集』時代の歌人たちの恋愛記録や前代からの伝説記録が語られている。全二巻。
【冒頭部】
信濃国更級といふ所に、男住みけり。若き時に親死にければ、
【現代語訳】
信濃国更級という所に、一人の男が住んでいた。(その男は)幼い時に親が死んだので、伯母が親のようにして、幼い時から一緒に暮らしていたが、この男の妻は性質に薄情な点が多くて、この男の伯母である姑が年老いて腰が曲がっていたのを憎み続けて、男に向かっても常にこの伯母の根性のまがっていることを吹き込んでいたので、(男と伯母の間は)昔のように(大事に)しないで、おろそかに扱うことが、この伯母に対して多くなっていった。(ところで)この伯母はひどく年老いて、(腰がすっかり曲がって体が)二重に折れ曲がっていた。この伯母の姿をやはりこの嫁は厄介に思って(よくもまあ)今まで死なないこと(早く死んでしまえばよいものよ)と思って、悪口を言い続け、「(伯母さんを)連れていらっしゃって、深い山にお捨てになってくださいな。」と責め立ててばかりいたので、男は責められるのがつらくなって、妻の言うとおりにしようと思うようになってしまった。月がたいそう明るい晩、「おばあさん、さあおいでなさい。寺でありがたい法会があります、お見せいたしましょう。」と(男が)言ったので、(伯母は)この上なく喜んで(男に)背負われてしまった。(男は)高い山の麓に住んでいたので、その山の奥へ奥へと入って行って、高い山の峰で降りて来ることができそうもない所に(伯母を)置いて逃げてしまった。(伯母が)「おい、おい。」と呼んだけれど、(男は)返事もしないで逃げて、家に帰って来て(伯母のことを)考えていると、(妻が)告げ口をして腹を立てさせた時は、腹が立って、このように(伯母を山に)捨ててきてしまったけれど、長年親のように(自分を)養育して一緒に暮らしてきたことであるから、(伯母を捨ててきたことが)たいそう悲しく思われた。この山の頂上から、月もたいそうこの上なく明るく出ている様子をぼんやりながめて、(男は)一晩中寝ることもできず、悲しく思われたので、このように(歌を)詠んだのであるよ。
私の心はどうしても慰めることができない。更級の、私が伯母を捨ててきた山の上に照る月を見ていると。と詠んで、また山へ行って(伯母を)迎えて家に帰ってきた。それから後、(この山を)「姨捨山」というようになった。「慰め難い」という時に、(姨捨山を引き合いに出すようになったのは)このようないわれがあったのだ。
【語句】
さがなく・・・性質がよくない。意地が悪い。
かくしつれど・・・こうしてしまったけれど。
所狭がりて・・・厄介に思って。いやがって。
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